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草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

ポスト工業社会における「労働」のゆくえ

(だんだん思想史的な記事を書くのに飽きてきたので、突然ですが現代の労働について書きます。) 

 ポスト工業社会では労働が二極化しやすい、という話をあえて戯画化したイメージで語ってみると次のようになるでしょう。

 工業社会ではベルトコンベアの前でのマニュアル作業に象徴されるように、誰もが一定の訓練を受け年次を積めば同程度の仕事ができるようになる、というイメージが共有されていました。逆にいえば、ある程度の訓練と経験(年次)を積まなければ、仕事ができるようにはならなかった。それゆえ、年功序列制が意味をもって受け止められていました。

 これに対しポスト工業社会では、一定の訓練を受け年次を積んだとしても、誰もが同程度の成果を出せるとは限りません。ある種の天才的な能力や発想力をもつ人は、特に訓練を受けなくても年次を積まなくても、若くして大きな成功をおさめることになるかもしれない。一方で長い時間をかけて訓練を積み努力を重ねたとしても、大した成果を出せずに終わる人もたくさん出てくることになります。

 

 例えば、あるwebサービスを開発する場合のことを考えてみましょう。インターネット上のサービス機能やスマートフォンで使うアプリの開発などは、極端にいえば「アイデア一発」の世界です。ある程度のプログラミングの技術をもち、時代の流れにマッチした卓抜したアイデアを出せる人であれば、たとえその人がフリーターであっても、学生であっても、職歴のないニートであっても、大ヒットするサービスを開発し、大儲けすることは可能です。そこには年月をかけた訓練と経験などは特段必要とされていません。実際にネット業界にはその類の「成功事例」がごろごろ転がっています。

 

 そのような天才的発明が特殊な事例であるとしても、例えば民間企業で何らかの新しいサービスを開発することになった際に、最重要な要素のひとつは「どのようなサービスをつくるか」というアイデアの部分です。当たり前だと思われるかもしれませんが、これまでの日本が得意としてきた「ものづくり」において大きくものを言っていたのは、そのような「アイデア」の部分よりも、既にあるアイデアをいかに洗練させたかたちで効率的に作り上げるかという「作り込み」の部分でした。日本人はゼロから新しいアイデアを考えるのは苦手だが、すでにあるアイデアを改良させていくのは得意だ、というよくある日本人論にも当てはまる話でしょう。

 

 しかし、これもまたしばしば言われることですが、ポスト工業社会(情報化社会)においては「作り込み」の部分よりも「アイデア」の部分のほうがより大きな価値を持つことが多い(もちろん例外ケースは数多存在するが)。例えば、現在インターネットサービスとして大きな力を持っている、グーグル、アップル、アマゾン、フェスブック、ツイッターなどのサービスは、根幹のアイデアとそれを実現する最低限のシステムさえ構築してしまえば、あとはそのサービスを維持するための労力はマニュアル化&アウトソース化することが可能になります。

 

 もちろんこれらのサービスにおいても、日々サービスの質を向上させ進化させていく努力は必要とされています。webサービスにおいても「作り込み」の価値が失われるわけでは決してありません。しかし、根本的にwebサービスの価値を決めるのは、初発の「アイデア」とそれを実現する「システム」の構築です。その二つさえ出来上がってしまえば、あとはマニュアル化と省人化を進め、その単純労働を低賃金労働者に請け負わせることで安定的で膨大な利益を得ることが可能になります。

 もちろん大抵の場合はそんな風には上手くはいきません。グーグルやアップルのような企業にもその背後には、日々弛まぬ努力と改善の積み重ねがあることでしょう。しかし製造業と比べたときにその収益構造に力点の差があることはおそらく確かです。

 

 日本がこれまで得意としてきた自動車や電機製品の「ものづくり」では、すでに存在する「車」や「家電製品」などの商品を、大きな工場のもとで大人数の労働者が協力して働きながら作り上げていくものでした。その基本的な設計アイデアは他国企業にも共有されていたとしても、それを作りこむ過程や洗練された技術、大規模な機械・施設などの面で他国に優位を保ってきたのです。しかしそのような前提は次第に崩れつつあります。

 

 野口悠紀夫がいうように、現在ではグローバル化とIT化の進行によって、既存製品の「コモディティ化」が進みやすくなり日本の「ものづくり」産業がこれまで保っていた優位性が、新興国のキャッチアップによって失われつつある(半導体や液晶テレビなどの分野で日本がアジア新興国に追い上げられてきた歴史を振り返るとよい)。それに代わって、現在、世界で大きな収益構造を握っているのが、先にあげたグーグル、アップル、アマゾンなどの「アイデア」と「システム」で勝負するIT企業です(あるいはこれもグローバルな収益構造を作り上げることで巨額の富を稼ぎだしているエネルギー企業、金融企業など)。

 

 このような状況のなかで、日本もまた新しい「アイデア」の創出とそれを実現する「システム」の構築で勝負するような第3次産業中心の産業構造に転換すべきだ、という主張はこれまでにも盛んになされてきました。しかし、そのような主張はこれまでほとんど実現されてこなかった、というのが実際のところです。「日本初のITサービス」は現在に至るまでほとんど成功事例がありません。

 

 その原因が何であるのかはよくわからない、というのが正直なところです。先に述べたように、ゼロからアイデアを作りだすのは苦手だが既にあるアイデアを改良するのは得意、という日本人的特性によるものなのか、日本の企業風土や社会制度が古いもののままであるからなのか、日本政府の方針が悪いからなのか…。この点についは様々な論者が様々な意見を述べているが、今のところ決定的な説明は見つかっていないように思えます。今後、日本からもそのようなサービスを開発する企業・個人が出てくるのかこないのか、も現時点では不明であるとしか言いようがありません。

 

 話を本筋に戻して、ポスト工業社会では労働が二極化しやすい、という問題です。グーグル、アップル、アマゾンのように「アイデア」発想と「システム」構築が大きくものをいうような第3次産業が主流になるとどうなるか。優れた「アイデア」を発想しそれを実現する「システム」を構築できるのは、世間のなかでごく限られた一部の人々になっていくでしょう。当然の話であり、残酷な話でもあるのだが、誰もがスティーブ・ジョブズやザッカーバーグのようなカリスマになれるわけではありません。大多数の人間はジョブズやザッカーバーグの魅力に惹かれながらも、現実には彼らの「アイデア」と「システム」を保守・運営・改善する仕事に就くしかない。

 

 それらの産業においては「作り込み」の部分は比較的に付加価値を減退するので、従来のものづくり産業に比べれば、低い賃金でマニュアル的な労働に従事しなければならない人々が増えることが予想されます。しかもそのような仕事は効率化を経るにしたがって、一定のマニュアルさえあれば誰にでも従事可能なものとなっていく傾向が強いので、結果的にそれは「入れ替え可能」な仕事となり、低賃金でアウトソース化されるものになりやすい。するとその仕事に就く人々の身分は不安定なものとなり、「切り捨て」られるものとなっていく可能性が高い。

 

 他方で、卓抜な「アイデア」と「システム」を構想できる少数の優れた人々の立場はどうなるでしょうか。そのような人々は企業雇用に縛られずとも、自力で次々と独創的なアイデアを出し、新しいビジネスシステムを作っていくことが可能でしょう。企業側はこのような人々を引き留めるために多額の給料と快適な雇用環境を提供しようとします。またweb市場では「規模の経済」が働きやすいので、いちど広範に普及したサービスを構築することができれば、当分の間、そこから巨額の富を得ることが可能になります。また彼らの仕事は、独創的で刺激に富み、多くの人々からの名声と承認を得るものになるでしょう。これらの点で、彼らの仕事は待遇面と内容面、承認面などにおいていずれも満たされたものになる可能性が高いといえます。(あくまでこれがやや極端に理念化したケースを述べているにしても、そのような傾向があることは否めません)

 

 そうすると、「アイデア」と「システム」で勝負するポスト工業社会では、経験と年次に基づく「作り込み」「職人的技術」で勝負する工業社会に比べて、「勝ち組」と「負け組」の差が広がりやすい。それは単に収入面の格差だけでなく、雇用の安定性、仕事内容の面白さ、社会的に獲得される承認面などの点においてもそうなのです。さらには将来にむけたキャリアアップや、将来の状況が現在の状況よりもより良くなるという期待性などの面においても、その格差が広がりやすくなるだろう。これが山田昌弘のいう「希望格差」です。

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

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 しかも、そのようにして生みだされる格差は、時間をかけて積まれた努力の度合いに応じて生じるものではありません。いわば、時代の流れにあった「アイデア」を思いつくかどうか、という天性の才能や発想力、あるいは単なる「偶然性」によって生じてくる格差です。何十年もの努力と苦労をかけて生みだされたサービスよりも、天才的な高校生がシンプルな技術で作ってみたサービスのほうが大きくヒットする、という事例はIT業界では決して珍しいものではありません。むしろありふれた話だとさえ言えます。しかしこれが自動車や電気製品などの「ものづくり」の分野ではそう簡単にはいかないでしょう。それらの製品を作り出すためには、一定規模の設備や一定期間の訓練・経験などが必要とされるからです。(とはいえ、そのような状況も既に変わりつつあることを、クリス・アンダーソンの著作『MAKERS』は指摘している)

MAKERS―21世紀の産業革命が始まる

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 そうするとポスト工業社会において必然的に生じてくる格差(労働の二極化)は、努力によってはどうしようも変えようのない「宿命的なもの」に思えてきてしまうことすらあるだろう。(情報化社会の極限において、なぜか「宿命的なもの」が回帰してくるという現象は他の論者によっても指摘されている。例えば、鈴木謙介『ウェブ社会の思想』を参照。)労働の面において、このことを指摘したのが本田由紀による「ハイパー・メリトクラシー」現象です。この点について次回の記事で説明しましょう。