「〈起業〉という幻想」を超えて
前回の記事では「自己雇用self-employment」について書きました。
「起業」のイメージが、一昔前のようにITベンチャーで一発当てて大金持ちに、というホリエモンスタイルではなく、気心の知れた仲間たちとマイペースでやっていく、というシェアハウススタイルに移行していること、そしてそれは元々の「自営業」のイメージに近いものであること、というかそもそも「起業」は「自営業」とほぼ同義であること、を確認してきました。
これとほぼ同じことを言っているのが、スコット・A・シェーンの『〈起業〉という幻想――アメリカン・ドリームの現実』という本です。
- 作者: スコット A シェーン,谷口功一,中野剛志,柴山桂太
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2011/09/27
- メディア: 単行本
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近年のアメリカでは起業(entrepreneurship)幻想が蔓延しており、「高校を中退した文無しの男が10ドルだけポケットに突っ込んでアメリカにやって来て建設会社をおこし、あれよあれよという間に億万長者になってしまうとか、あるいは、インターネット電話を開発したエンジニアがベンチャー資本を調達し、最終的には数億ドル規模の会社を作り上げるとか、そういった類の話」が持ち上げられるが、そのようなイメージは神話にすぎない、とシェーン氏は言います。
シェーン氏は起業に関する統計調査を用いて、それらの幻想・神話をひとつずつ論駁していきます。彼によれば、実態はこうです。
「われわれが思っている以上に、起業家はありふれており、典型的な起業家は、ステレオタイプなイメージとは非常に異なったものである。典型的な起業家は、カレッジを中退した40歳代の既婚白人男性である。彼は、デモイン(アイオワ州)やタンパ(フロリダ州)など、自分が生まれ育った土地で人生の大半を過ごし、そのままそこに住み続けている。彼が始める新たなビジネスは、彼自身が長年その業界で働いた経験のある、建設会社や自動車修理工場のようなローテクなものだ。典型的な起業家が始めるビジネスは、彼自身の貯金や、恐らく銀行からの個人保証によるローンなどの形で調達した2万5000ドルの資金を元手とする個人事業である。彼は生活費を稼いで家族を養いたいだけだ。要するに、典型的な起業家とは、よくいるあなたのお隣さんのことである。」(17-18頁、強調引用者)
読んでいて、なかなか痛快な文章ではないでしょうか。
ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのようなIT起業家を持ち上げたがるエコノミストやいわゆる「意識の高い人たち」の主張を根底から覆すような事実がここには示されています。シェーン氏は他にも以下のような起業幻想を覆す事実を列挙しています。
・アメリカは、以前に比べるなら起業家的ではなくなってきている。1910年と比べるなら、全人口に占めるビジネスの創業者の割合は低下してきている。
・アメリカが特別に起業家的な国であるというわけでもない。ペルーは、アメリカよりも3.5倍の割合で新たにビジネスを始める人がいる。
・起業家は、魅力的で目を惹くハイテク産業などではなく、建設業や小売業などのどちらかというと魅力の薄い、ありきたりの業種でビジネスを始める場合のほうが多い。
・新しくビジネスを始める動機のほとんどは、他人の下で働きたくないということに尽きる。
・仕事を頻繁に変える人や、失業している人、あるいは稼ぎの少ない人のほうが、新しいビジネスを始める傾向にある。
・典型的なスタートアップ企業は、革新的ではなく、何らの成長プランも持たず、従業員も一人(起業家その人)で、10万ドル以下の収入しかもたらさない。
・7年以上、新たなビジネスを継続させられる人は、全体の3分の1しかいない。
・典型的な起業家は、ほかの人よりも長い時間労働し、誰かの下で雇われて働いていた時よりも低い額しか稼いでいない。
・スタートアップ企業は、考えるよりは少ない仕事(雇用)しか産み出さない。創業以来二年未満の会社で働く人が全人口の1%であるのに対して、10年以上の会社で働く人は60%を占める。
いずれも眼から鱗が落ちそうになるデータばかりですが、考えてみればまぁ確かに実態はそうなんだろうな、という気がしないでもありません。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのように、先進的な産業で優れた技術やサービス、ビジネスモデルを開発してベンチャー企業で大成功し、世界的に有名なる起業/企業など実際にはごくひと握りにすぎません。むしろ起業-自営業の大半を占めているのは、ある程度の就労経験を経た中年男性が、「他人の下で働きたくない」という動機から、既存の技術・知識・人脈などをつかって自営業を始める、というパターンなのです。
「起業大国」としてのイメージが強いアメリカでも年々、起業の割合は減り続けており、むしろペルーやトルコなどの途上国のほうが起業の割合はずっと多い、という事実も、考えてみれば自然なものです。貧しい国では雇用の口が十分にないために、働きたいのであれば自分で商売をおこすしかない、という状況がままあります。自発的に起業するというよりは、そうせざるを得ないので起業する、というパターンが多いのです。
古市憲寿さんが皮肉っぽく書いているように、「世界的に見て最も起業活動が盛んな国はバヌアツ、ボリビア、ガーナ、ペルーといった発展途上国」なのです。「こういった国では雇用機会がほとんどなく、自分でビジネスを営んだり、一次産業に従事したりするしかないから起業率が高まる」(古市憲寿『僕たちの前途』226頁)。逆にいえば、起業率が低いのは国内に雇用機会がたくさんあり、経済が豊かな証拠である、ということです。
ちなみに国際的な起業調査GEMによれば、アメリカの起業率は84カ国中、39位にすぎない。先進国の中でもニュージランドやオーストラリアのほうが起業活動が盛ん、とのこと。そして日本のランクは84カ国中84位。実際の企業活動のみならず、様々な条件において日本は「世界で最も起業しにくい社会である」そうです*1。
- 作者: 古市憲寿
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/11/22
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参照元:平成22年版 情報通信白書
事ほど左様に、先進国であるアメリカや日本の起業率が年々低下し、途上国よりもずっと低水準であることは不思議でもなんでもなく(ただし先進国の中でも日本は特に起業率が低いことは確か)、「起業こそが経済成長をもたらす」などという言説は正しいものとはいえない、ということがわかります。
しかしここで僕が言いたいのは、だから起業なんてしないほうがいいよ、みんな大人しく雇用されて働けばいいじゃん、ということではありません。経済成長の手段として「起業」を持ち上げたり、一攫千金的な夢を語るために「起業」幻想を煽ることには反対ですが、前回の記事でも書いた「自己雇用」「自営業の復活」としての「起業」ならば大アリではないか、というのが僕がここで書きたいことなのです。言葉を換えれば、「会社に雇われる以外の働き方」がもっとあってもいいんじゃないか、ということです。もっと言えば、絶えざる成長を目指す資本主義システムとは異なる働き方としての起業=自営業=自己雇用の可能性を探ることを試みたい、ということになります。
いつもの言い訳をここでも書いておきますと、だからといって僕はみんなが会社を辞めて自営業を始めればいい、会社に雇われない働き方を目指したほうがいい、資本主義的な働き方を否定するべきだ、ということを言っているわけではありません。何事も極端な考え方は良くないものです(僕は中庸・平凡を愛する人間なのです)。これからも日本では大半の人が会社に雇われて働いていくでしょう。先ほども書いたように、その自体は否定されるべきことではありません。日本が「豊かな社会」であることの証左なのですから。
しかし、我々の働き方が「会社に雇われて働く」ことしかなくなってしまう、という状況は、経済-社会的に必ずしも望ましいものではありません。システムが一方の側に偏ってしまうことは社会の脆弱性を意味するからです。「会社に雇われて働く」しか道がないのであれば、どうしても雇う側の企業のほうが力が強くなります。働く側は企業に頭を下げて「(多少きつい条件でもいいから)雇ってください」と言わざるを得なくなる。これはすでに現在の日本社会で起こっていることです。
例えば、近年の就職活動の状況を見ればそのことがわかるでしょう。学生が会社に就職するためにどれだけの時間と労力とお金をかけなければならないことか。また最近、内田樹さんがしばしば批判されていることですが、グローバル企業は「国内での企業活動の条件を良くしないと雇用を外国に移すぞ」という恫喝じみた要求を政府に突きつけるようになります(例えば法人税の引き下げ、消費税の引き上げ、為替政策、雇用の流動化、各種の規制緩和など)。
そういう意味において、現在の行き過ぎた雇用社会を是正すること、広い意味での自営業を復権させることが、我々に求められているのではないか。このことについて、『〈起業〉の幻想』の訳者のひとりである柴山桂太さんが雑誌『POSSE』vol.18のインタビューの中で面白いことを語っておられます。次回の記事ではそのことについて書こうと思います。
参考記事
古市憲寿×安藤美冬 【第1回】 金メダリストをバッシングする日本で、本当に起業家は増えるのか
古市憲寿×安藤美冬 【第2回】 「雇われて働くのが当然」の日本で、起業とは「独立国家」を創ることだ