草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

「フリー経済」は資本主義社会をどのように変えるか?

 以前の記事で、雇用が収縮する低成長社会においては、非-資本主義的領域を拡張していくことが重要になるのではないか、と書きました。では具体的には、非-資本主義的領域とはどのような領域なのでしょうか?

  現代社会における非資本主義的領域を考える際にまず思いつくのは、インターネットに関連する諸分野でしょう。例えば、「フリー」や「シェア」「ソーシャル」などのキーワードについて考えてみます。これらのキーワードは、無限に自己増殖する資本主義モデルとは異なる性格を指し示しているように思われます。

 まず、クリス・アンダーソンの著作によって有名になった「フリー」の概念について。アンダーソンによれば「情報はフリーになりたがる」という性質を持っている。ここでいう「フリー」には「自由」と「無料」という二つの意味があるが、この両方の意味で情報は「フリー」になろうとする傾向があるということです。

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略

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 例えば、いまネット社会で最も強い影響力をもつ企業であるグーグルは、これまで有料だった様々なサービスを無料で提供してきました。検索機能やメールサービス、ドキュメント機能、データ保存、グーグル日本語入力やグーグル・ストリートビューなどのサービスなど。それらのサービスがいずれも高性能で使いやすくスタイリッシュであるにもかかわらず、無料で提供されているためにグーグルは高い人気を獲得してきたのでした。

 YouTubeニコニコ動画などの動画共有サービス、さらにはfacebooktwittermixiなどのソーシャルメディアも基本的なサービスは無料で利用できます。もちろん各企業はボランティアでこれらのサービスを提供しているわけではありません。例えば広告収入やプレミア会員収入、他の有料サービスへの誘導などによって収益を得ています。しかし多くのユーザーにとってはこれまで有料だったサービスが無料で使えるようになったことには違いありません。

 

 このように企業が多くのネットサービスを無償で提供できるのは、情報という商品の性質によります。情報は限界コスト(ある商品をもう1単位生産するために追加でかかるコスト)が限りなくゼロに近い。例えば自動車のような商品を生産する際には、どれだけ大量生産をしていても原材料や人権費、輸送費などの限界コストがかかる。これに対し、極端にいってしまえば、情報系サービスはいちどその商品やシステムを作り上げてさえしまえば、そのコピーにはほとんど限界コストはかからない(もちろん種類によりますが)。それゆえいちど完成した情報商品は、もしそうしようと思えば、ほとんど無償で提供することができる、という性質を持っています。

 

 さらにはネットワーク効果と呼ばれるものもあります。ネットワーク効果とは、ユーザ-が増えれば増えるほど消費者にとっての商品やサービスの価値が増大する現象のこと。例えば、OSや事務系ソフトとしてウィンドウズ製品がこれだけ普及しているのは、「皆がそれを使っているから」という理由によるところが大きい。つまり情報・ネットサービスでは「ひとり勝ち」状態が起こりやすい。それゆえ、企業は無償で多くのサービスを提供することによって多数のユーザーを獲得し、それを元にしてビジネスを行おうとする動機が働きやすくなるわけです。例えば、ニコニコ動画では多数のユーザーが無料会員でサービスを利用していても、少数のコアユーザーが有料会員になってくれれば採算をとることができる(フリーミアム)。なぜならそれだけユーザーの母体数が大きいから、というわけです。

 

 このように情報系サービスでは、1)限界コストがゼロに近いことと、2)ネットワーク効果という二つの性質をもつために「無料(フリー)」になりやすい。さらには情報は政府などの権力機関による管理・規制に馴染まず、それらから逃れたがるという意味で「自由(フリー)」になりがたる性質ももっている。これがアンダーソンのいう「情報はフリーになりたがる」の意味です。

 

  さて、インターネットの発達とともに、これまで有料であった(あるいはごく一部の限られた人にしか使えなかった)サービスが、多くのユーザーにとって無償で使えるようになった結果、どのようなことが起きたでしょうか。 

  もちろんグーグルもドワンゴニコニコ動画を提供している会社)もfacebooktwitterも営利企業ですから、そのビジネスは間違いなく資本主義経済の範疇にあり、実際にこれらの企業はきちんと収益をあげています。しかしそれとは別にして、これらの企業が提供しているサービスには非-資本主義的な要素が含まれているのではないか?もっといえば、インターネットの世界には本質的に非-資本主義的な要素があるのではないか?このように考えてみたいです。

 

 こんな風に言うと、まるで私がインターネット万能論者であるかのように聞こえてしまうかもしれません。しかしそうではありません。非-資本主義的な領域はいつの時代にもどんな社会にも必ず存在しているものです。ただし、その現れ方は時代や社会ごとに異なる。現代では、資本主義経済の力があまりに強くなってしまったために、非-資本主義的領域はかなり縮小してしまった。しかし現代においてもやはり、一定量の非-資本主義的領域は残されている。そのひとつの現れがインターネットの領域なのではないか、というのが私の考えです。そしてその非-資本主義的要素が具体的には「フリー」や「シェア」という形で現れてきているのではないか。

 

 もちろんインターネットの普及によって資本主義が滅びるなどという安直な資本主義終焉論を唱えたいわけではありません。おそらく資本主義経済はまだまだ続いていくでしょう。しかし、インターネットを介して出現した「フリー」や「シェア」などのトレンドが、これからの経済や社会のあり方を変えていく可能性は大いにあります。いや、すでにその変化は我々の身の周りで起こり始めていると言ってよいでしょう。

 企業がこれまで有料で提供していたサービスを無料で提供するようになり、ユーザーもまた自身が作ったもの(ブログ、twitterでのつぶやき、アプリ、動画、音源、その他各種の情報など)を無償で提供したりシェアしたりするようになったとき、経済や社会の仕組みはどのように変わっていくのでしょうか?そのことを引き続き考えていこうと思います。