分業、交換性向、労働価値説 -アダム・スミス『国富論』より
今回は、経済学の父、アダム・スミスの労働観についてです。
アダム・スミス(1723-1790)
アダム・スミスの『国富論』が、ピン工場の分業の例から始められていることは有名です。一人の職人がピンを最初から最後まで製造するよりも、複数の労働者で作業を分担してピンを製造したほうが、ずっと効率が良く生産性が高い、とスミスは言います。なぜなら、分業の結果として、①個々の作業に特化することで労働者の腕前が向上し、②ある作業から別の作業へと移る際の時間が節約されるとともに、③各作業を容易にする多数の機械が発明されやすいからだ、というのです。
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このような分業が経済全体に広がれば、その社会全体の生産性が向上し、「最低階層の民衆にまで広がる普遍的な富裕をつくりだす」だろう。また分業の進展によって、「各個人は自分自身の特定部門でいっそうの専門家になり、全体としてより多くの仕事がなされ、専門知識(サイエンス)の量も大いに増大する」(『国富論』岩波文庫版、第一分冊、33頁)。こうして分業の普及がその国の経済の生産性を高めるだけでなく、その国を「富裕化」させ「文明化」させるというのがスミスの考えでした。ここには前回取り上げたヒュームと同様、労働の発展が民衆と国家の繁栄をもたらすという文明的視点を見出すことができます。
このように多くの利益を生み出すこの分業は、「もともとは、それが生み出す全般的富裕を予見し意図する人間の英知の結果ではない」というのがスミスの考えでした。それは、「そのような広範な有用性を考慮していない人間本性のある性向、すなわち、ある物を他の物と取引し、交換し、交易する性向」によるものだとスミスは言います。ここから次の有名な一節が出てきます。
「われわれが食事を期待するのは、肉屋や酒屋やパン屋の慈悲心からではなく、彼ら自身の利害にたいする配慮からである。われわれが呼びかけるのは、彼らの人類愛にたいしてではなく、自愛心にたいしてであり、われわれが彼らに語るのは、けっしてわれわれ自身の必要についてではなく、彼らの利益についてである。」(同上、39頁)
これがいわゆるスミスの「見えざる手」に通ずる議論です。市場における各プレーヤーは市場全体の最適解や他のプレーヤーの満足度について考慮する必要はない。各自が自己利益を最大とするように行動していれば自然と市場全体にとっての最適状態に行き着くのだ、という理論ですね。確かにそのように理解できる議論をスミスは展開しているのですが、他方でこれがスミスの議論の本来の意図を矮小化するものであることも確かです。これは佐伯啓思先生や堂目卓生先生などによって指摘されていることですが、スミスの「見えざる手」理論を新自由主義的に矮小化して理解することには多くの問題点があります。しかしここではその問題は割愛します。(関心ある人は佐伯先生や堂目先生の本を読んでください)
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興味深いのは、スミスがここで分業の根源を人間の「交易する性向」に求めていることです。売買にせよ、交換にせよ、会話にせよ、人間は本性的に「他者と交易する」という性質をもっている。この性向から経済的行為が生まれたのであり、分業が発展したのである、というのがスミスの経済思想の根本にある考え方です。
動物とは異なって、人間は「取引し、交易し、交換するという一般的性向」を有しているがゆえに、各自が生み出した生産物を共同財産とし、それを配分することが可能になった。さらには、「自分が消費しきれない部分をすべて、他人の労働の生産物のうちで自分が必要とする部分と確実に交換することができるのだということが、各人を特定の職業に専念するように、そしてその特定の仕事にたいして彼がもつあらゆる才能や資質を育成し完成するように仕向ける」ことが可能になったのである、と。
さて、分業が普及化したのちには「人が自分の労働でまかないうるのは、これらのうちのごくわずかな部分にすぎない」。人は自分が必要とする物の圧倒的大部分を他人の労働に依存しなければならなくなる。その結果、「彼の貧富は彼が支配しうる労働、つまり彼が購買しうる労働の量に対応する」ようになるために、「労働がすべての商品の交換価値の真の尺度となる」事態が発生する。この考え方を「支配労働価値説」といいます。スミスは次のように述べています。
「あらゆる物の実質価格、すなわち、あらゆる物がそれを獲得したいと思う人に真に負担させるのは、それを獲得するうえので労苦と手数である。それをすでに獲得していて、それを処分しあるいは何かほかの物と交換したいと思う人にとって、すべての物がもっている真の値打ちは、それによって彼自身が節約でき、またそれによって他人に課することができる労苦と手数である。貨幣または品物で買われる物は、われわれがわれわれ自身の身体の労苦によって獲得するものと同じく、労働によって購買されるのである。事実、その貨幣またはその品物がこの労苦をわれわれから省いてくれる。それらのものは一定量の労働の価値を含んでおり、それをわれわれは、そのときに等量の労働を含んでいるものと考えられるものと交換するのである。労働こそ最初の価格、すなわちあらゆるものにたいして支払われた本源的な購買貨幣であった。」(同上、63-64頁)
このような理屈が現代の経済にも成り立ちるかどうかはともかくとして、ここで書かれている理屈じたいを理解することはさほど難しくないでしょう。ある物の値打ちは、その物を手に入れるためにわれわれがかけなければならない労苦と手数によって決まる。それゆえ、その物を手に入れるためにかけた労働の量こそがその物の価格および価値を決めるのだ、ということです。「その所有がただちに、かつ直接に彼にもたらす力は購買力、すなわち、そのとき市場にあるすべての労働、あるいは労働の全生産物にたいする一定の支配力である。」(同上、64頁)
しかし実際には、労働を交換価値の尺度とするのは困難です。一番わかりやすいのはそれぞれの商品の入手・製造にかかった労働時間をもとにして交換をおこなう方法でしょうが、では狩りで獣を仕留めるのにかかる労働と、裁縫で上着をつくりあげる労働という質の異なる労働を単純に労働時間で比較することなどできるのか、という問題があります。そこで現実には、労働量そのものの比較・交換よりも商品どうしの比較・交換によってそれが代替されることが多い。さらに物々交換が発展して貨幣が使われるようになると、商品と貨幣の交換がもっとも多くなる。ここで各商品がもつ支配労働量という概念はあくまで理念としてのみ通用しているということになります。
しかし、あくまで真の交換価値の尺度は労働であって、商品や貨幣ではない、とスミスは念を押しています。なぜなら商品や貨幣は状況によってその価値が変動しうるために安定した価値尺度とはなりえないからです(例えば、16世紀にはアメリカ大陸で豊富な鉱山が発見されたため、ヨーロッパの金銀の価値はそれ以前の約3分の1になりました。〔いわゆる価格革命])。「だから、労働だけが、それ自身の価値に変動がないために、いつどこでもすべての商品の価値を評価し比較することができる、究極的で真実の規準である。労働はそれらの商品の実質価格であり、貨幣はたんにその名目価格にすぎない。」(同上、68頁)
商品の実質価格と名目価格という使い分けも印象的ですが、ここで重要なのは、市場において商品や貨幣の価格変動が生じる可能性が考慮されているということです。『国富論』全般にわたって展開されるように、需要と供給の関係によって商品や貨幣の価格が変動するメカニズムが緻密に分析されており、もちろん現代の経済学の視点から見ればいろいろと不備はあるものの、当時の水準においては驚くべきものであったことは間違いありません。
さて、このようにスミスが労働を交換価値の唯一普遍の尺度として強調した背景には、スミスによる重商主義批判という経済学史的な意図がありました。重商主義とは一般に「貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増大させることを目指す経済思想および経済政策」を指します。重商主義政策は16世紀から18世紀の資本主義初期段階において、常備軍・官僚制を備えた絶対王政と植民地貿易に携わった特権商人とが手を組むかたちで展開されました。経済学史上では前期の「重金主義」と後期の「貿易差額主義」に分けられることが多いのですが、いずれにしてもその思想の根底にあるのは「富とは金銀・貨幣であり、国力の増大とそれらの蓄積である」という考え方です。そしてスミスが痛烈に批判したのがまさにこの考え方でした。
『国富論』の原題は"An Inquiry into The Nature and Causes of The Wealth of Nations"ですが、これは「諸国民の富の本性と原因についての探求」という意味です。スミスはその序文で次のように書いています。「すべての国民の年々の労働は、その国民が年々消費する生活の必需品や便益品のすべてをその国民に供給する、もともとの原資であって、それらのものはつねに、その労働の直接の生産物であるか、あるいはその生産物で他の諸国民から購入されるものである」。つまりスミスにとっては、「富」の本質とは金銀などの貨幣ではなく、日々の労働によって生み出される「生活の必需品や便益品」でした。国民の労働を原資として生産される諸々の具体的有用物こそが「諸国民の富」である、というのがスミスの考えでした。
これは経済思想史上では決定的に重要な思考の転換点です。「富」や「価値」の本質が、金銀・貨幣というモノから「労働」という人間の行為に移行しているからです。もちろんこのブログでも取り上げてきたように、すでにロックやヒュームの時点において労働価値説の原型となるアイデアは示されていたのですが、重商主義の富=金銀・貨幣説にたいしてこれを明確に批判するかたちで富=労働説を唱えたのはスミスが初めてです。これによってスミスからリカードを通してマルクスにまで至る労働価値説の原理が明確に理論化され、経済学のなかで盛んに議論されることとなります。
他方で、スミスはヒュームとは異なり、労働という行為そのもののうちには「喜び」や「人格陶冶」などの積極的意義を見出していません。スミスにとってあくまで労働それ自体は「労苦と手間(toil and trouble)」でしかありませんでした。ただしその労働によって生み出される富が人々の暮らしを豊かにし、社会全体を文明化させることについては、ヒュームと考えを同じくしていたと言えます。労働行為そのものにではなく、それによって生み出される生産物や効果に価値を見出したのがスミスの労働観であったと言えるでしょう。