草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

マルクス『資本論』から資本主義の本質を考える。

 これまでの記事のなかで何度か「非-資本主義的経済圏」を創出・再興することが必要だと書いてきました。「非-資本主義的経済圏」とは具体的にはどのようなものなのか?今回はそれを考えてみます。

  非-資本主義的な経済圏がどのようなものであるかを考えるためには、逆に資本主義経済の本質がどこにあるのかを考えてみるのがよい。資本主義の本質をもっとも的確に見ぬいた思想家は言うまでもなくカール・マルクスです。マルクスというと、共産主義/社会主義の失敗によって、とっくに「死んだ思想家」であると一般的には捉えられていますが、マルクスが行った資本主義批判は現在に至るまで有効なものであると僕は考えています。

 

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カール・マルクス(Karl Marx, 1818-1883)

 

 マルクスが捉えた資本主義の本質とは何か。それは「資本(capital)」が「無限に自己増殖する価値運動である」ということです。これをマルクスG-W-G' という定式でもって表しています。ここでGは貨幣(ドイツ語でGeld)、Wは商品(ドイツ語でWare)を意味しています。この定式についてもう少し詳しく説明しましょう。

 一般的な商品交換は、W-G-Wという定式で表されます。例えば、小麦という商品(W)を有している農業者はこれを市場で売って貨幣(G)を手に入れ、その貨幣(G)でもって別の商品(W)、例えば上着を手に入れる。このような商品a→貨幣→商品bの交換を、W-G-Wという定式で表しているわけです。

 

 ではこの商品交換の定式をひっくり返した資本の一般定式、G-W-G' とは何を意味しているのか。資本家の行動を考えてみてください。資本家はまず投資の元手となる貨幣(G)を有しており、その貨幣を何らかの商品(W)に投資し、次にその商品を用いて何らかの事業(生産・流通・販売)を行うことによって、最終的に当初有していたよりも多くの貨幣(G')を獲得する。最後のG'の '(ダッシュ)が意味するのは、貨幣の増加分(+⊿)を意味しています。通常の商品交換とは異なり、貨幣→商品→貨幣+αという順序でもって、手持ちの貨幣を増殖させていくのが資本家の行動になる。

 重要なのはこのような資本の価値増殖運動が果てしなく続くということです。つまり、G-W-G'-W-G''-W-G'''-…というかたちで資本家は飽くことなく価値(貨幣)の増殖を図っていく。そしてマルクスのいう「資本」とは、このような無限の価値増殖運動そのものです。増殖した剰余価値(+⊿)をさらに次の事業へと投資することによって、資本家はますます資本の価値を増殖させていく、というわけです。マルクスは『資本論』第一巻・第四章「貨幣の資本への転化」のなかで次のように書いています。

 

「この過程で価値は、貨幣と商品という形態の不断の交代の下にあって、その量自身を変化させ、剰余価値として、原初の価値としての自分自身から、突き放し、自己増殖を遂げる。なぜかというに、価値が剰余価値を付け加える運動は、彼自身の運動であり、彼の増殖であり、したがって、自己増殖である。価値は、自分が価値であるから、価値を付け加えるという神秘的な性質を得る。価値は生ける赤児を生む、あるいは少なくとも金の卵を生む。」(『資本論』岩波文庫版、第一分冊、向坂逸郎訳、268-269頁) 

 

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

 

 資本家は、資本の価値増殖運動をやむことなく持続させ、より多くの剰余価値を獲得しようとする。そのためには、資本家は事業によって獲得した剰余価値(利潤)を自分の欲望のために使い果たしてはなりません。多少の贅沢は許されるにしても、剰余価値の大部分は次なる事業への投資に用いなければならない。実際に、資本主義のなかで成功している資本家・事業家のほとんどは、どこかの時点で「もういいや」と満足するのではなく、「もっともっと」とより大きな事業へ元手の資本を投下していきます。資本の無限運動は、資本家の「欲望の無限増殖」をももたらすのです。

 

「この絶対的な致富衝動、この激情的な価値への追跡は、資本家にも貨幣退蔵者にも共通のものである。だが、貨幣退蔵者が、ただ気狂いじみた資本家であるのに反して、資本家は合理的な貨幣退蔵者である。貨幣退蔵者が得ようと努力する価値の休みなき増大は、貨幣を流通から救い出そうとすることによって、行われるのであるが、より聡明なる資本家は、これを常につぎつぎと流通に投げ出すことによって達成する。」(同上、267頁)

 

  一世紀半の年月を経ても、なお資本主義の本質を衝く、魅力的な文章だと思われませんか?資本の無限増殖運動はいちど駆動し始めると際限なくその増殖運動を繰り返し、社会の基盤をも破壊しながら突き進み、世界全体を覆い尽くしていく。

 もちろんこのような資本の無限増殖運動は否定的な側面だけでなく、これまでの歴史上で見られなかったほどの豊かな物質的富をもたらすという肯定的側面を持っています。現代の経済的豊かさが、資本主義の発展させてきた巨大な生産力に拠るものであることは間違いありません。

 

マルクス・エンゲルス 共産党宣言 (岩波文庫)

マルクス・エンゲルス 共産党宣言 (岩波文庫)

 

 しかし近年は、無限の価値増殖を続けてきた資本の運動が変調に陥ってるのではないか。とりわけ先進諸国はこれまでのような右肩上がりの経済成長を前提として政策形成・社会運営を考えることが難しくなりつつあるのではないか。このような疑念を多くの人びとが持つようになってきています。つまり、資本の一般定式:G-W-G' が今後もこの増殖運動を続けていくことが可能なのかどうか、そしてその絶えざる増殖運動が本当の意味で社会に「豊かさ」をもたらすものであるかどうか、という疑問が生じてきているということです。

 このような疑念が即「資本主義の終焉」「資本主義の廃棄」論に結びつけようとする左翼論者もいますが、それはさすがに短絡的というものです。資本主義というシステムはそう簡単に終わりませんし、資本主義から別の優れた経済体制へと簡単に移行できるわけでもありません。しかし、同時に資本主義という経済体制を何が何でも維持しなければならない、というわけでもありません。どのような経済体制がわれわれの社会を本当の意味で「豊か」にしてくるのか、という問題をあくまで臨機応変に考えていかねばなりません。

 そのためには、資本主義的な経済システムと非-資本主義的な経済システムをうまく組み合わせていくことが必要となるのではないか、というのが僕の考えです。資本主義か非-資本主義か、といった二択問題ではなく、資本主義と非-資本主義の適切な組み合わせこそが求められているはずです。

 

 そこで最初の問いに戻りますが、非-資本主義的な経済圏とは「増殖しない経済圏」だということになります。あるいは定常状態を保ち続ける経済圏、と言ってもよいかもしれません。現在、求められているのは定常的な経済圏の創出ではないか。しかし、非-増殖=定常状態としての経済圏などというものを簡単に生み出すことができるのか、という反論も出てきそうです。そもそも経済economyがある種の交換や運動によって成り立っている以上、増殖しない状態を保つということはなかなかに大変なことなのではないか、と。この点について次回の記事で考えてみたいと思っています。

  あらかじめ述べておけば、資本の価値増殖(G-W-G')を可能とするWが「剰余価値を生み出す唯一の特殊な商品」たる労働力商品でなければならない、とマルクスが考えていたことに、非-資本主義経済圏の可能性と困難さを考える鍵があると考えられます。詳細は次回に…。