2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧
前回はマルクスの両義的な労働観について書きました。 未来社会において、労働はそれ自体を目的とするような遊戯的営み/活動となる一方で、あくまで厳しい緊張を必要とするような勤勉的営みでもあり続ける、というのがマルクスの労働未来論でした。 今回は…
前回からの続き。 前回の記事では、マルクスが来るべき未来社会においては、「労働Arebeit」が生命維持のために行われる強制的で苦痛な営みではなく、行為それ自体を目的として行われるような「活動Tätigkeit」になると考えていたことを書きました。この発想…
前回まで、ケインズの「我が孫たちの経済的可能性」というエッセイを手がかりに、(物質的に)「豊かな社会」において我々は「労働から解放」されうるのか?という問題を考えてきました。そもそも「なぜこれほど豊かな社会で我々はこれほど必死に働いている…
前回からの続き。 ここまでに論じてきた問題は、つまるところ、労働が人間にとってどこまで本質的な営みであるのか、人間が労働から完全に解放されることは果たしてありうるのか、という大きな問いに行き着きます。この問いに簡単に答えることはもちろんでき…
前回記事の最後で、ケインズが「孫たちの世代の経済的可能性」で示している処方箋(皆が1日に3時間ずつ働く)は、ベーシック・インカムがいいのかワークシェアリングがいいのか問題に行き着く、という話をしました。その続き。 ケインズ 説得論集作者: J・…
前回からの続き。 前回に書いたようなケインズの予言は、現代社会において半分当たったとも言えるし、半分外れだったとも言えるでしょう。おそらくケインズが予想していた通りに、あるいはそれ以上に、ケインズの時代から経済は目ざましい成長を遂げ、物質的…
このブログを始めた頃の記事で「なぜこんなに豊かな社会で我々はこんなにも働いているのか?」という問いを出したことがあります。その問いについて考えるための重要なヒントを与えてくれる短いエッセイがあります。ケインズが1930年に発表した「孫の世代の…