草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

非-資本主義的領域とはどのような場所か――柄谷行人『世界史の構造』から考える

 前回記事の結論部で、これからの時代は「非-資本主義的領域」を拡張していくことが重要ではないか、ということを書きました。では「非-資本主義的領域」とはどのようなものなのか。それを今回の記事では考えてみます。

 

 ここで参考になるのが、近年の柄谷行人氏の論考です。柄谷氏はポランニー等を参照しつつ、経済-社会の交換様式を以下の四つに分類します。

 

交換様式A:互酬(贈与と返礼)

交換様式B:収奪と再配分

交換様式C:商品交換

交換様式D:アソシエーション

 

 柄谷氏によれば、どの時代のどのような社会もこの四つの交換様式の組み合わせから成り立っており、それぞれの交換様式がどのような割合で働くかによってその社会の性格や構造が決定されるといいます。例えば、交換様式Aが強く働いているのが未開社会や原始的な部族社会、交換様式Bが強く働いているのがアジア的専制国家、交換様式Cが強く働いているのが近代以降の資本主義社会、という風に。そして交換様式Dが強く働いているのが、未来に実現されるべき理想社会(アソシエーション社会)である、ということになります。

 

 さらに柄谷氏はこの四つの交換様式をそれぞれ以下の理念に対応づけています。

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 つまり、交換様式Aに対応するのは「共同体」(Gemeinschaft)という場所と「友愛」( fraternité )という理念であり、交換様式Bに対応するのは「国家」という場所と「平等」という理念であり、交換様式Cに対応するのは「市場」という場所と「自由」という理念である、ということになります。

 柄谷はこのような図式を使って「世界史の構造」を領域横断的に説明するという大胆な試みを行って話題を呼びました。

 

世界史の構造

世界史の構造

 

 

 

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

 

 

 「非-資本主義的領域」について考えるという我々の目論見にとって、この柄谷の図式が役立つのは、(資本主義社会に支配的な)交換様式C=商品交換以外の交換様式に着目することによって、資本主義とは異なる社会のあり方を構想することができるからです。

 例えば、交換様式A=互酬(贈与と返礼)という交換様式に着目することによって、商品交換(貨幣と商品の交換)とは全く異なる原理に基づく交換のあり方が社会に存在することを理解し、そのような交換様式に基づく社会があり得るという想像力を持つことができます。より具体的には、マルセル・モースが『贈与論』のなかで巧みに描き出した未開社会における贈与交換の仕組みを理解することによって、資本主義社会とは全く異なる原理に基づく社会のあり方(豊かさ)への想像力を持つことができます

 

贈与論 (ちくま学芸文庫)

贈与論 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

 交換様式B=収奪と再分配に関しても同様です。国家(主権)が市場や共同体とは異なる原理と権力を持つことは、例えば萱野稔人氏の『国家とはなにか』のなかで詳細かつ明快に説明されています。国家による「収奪と再分配」の機能が重要なのは、それが結果的に国家内の構成員に一定の平等を担保するからです(とはいえ、その背景には歴然とした非対称的(垂直的)関係が存在しているのですが)。ポランニーが喝破したように、資本主義市場も国家の下支えがあって初めて十全に機能しうるのであって、交換様式Bと交換様式Cは互いに互いを支えあうかたちで存立しています

 

『国家とはなにか』

『国家とはなにか』

 

 

 さらに交換様式D=アソシエーションについてはどうか。柄谷はこれを「交換様式Cのなかに交換様式Aを取り戻す」ような交換様式であると述べています。すなわち「自由な市場のうちに互酬的(贈与的)な関係性を取り戻す」交換様式がアソシエーションである、ということです。これをより具体的にイメージするためには、以前の記事で言及した協同組合を思い浮かべるのが良い。マルクスが最終的な理想社会のあり方として掲げたアソシエーションが、具体的には協同組合的なコミュニティを想定したものであったことは、その記事の中で述べたとおりです。柄谷もまたこのようなマルクスの議論を念頭に置きつつ、それをさらに広い交換様式類型から考えなおそうとしているわけです。

 

 われわれは社会的行為について考える際に、ついそれを資本主義的様式(つまり交換様式Cのカテゴリー)を前提としてしまいがちです。例えば、「働く」ことについて考えるときに、多くの人は「働く」ことを賃金労働モデルにおいて考えている。また、欲しいものを手に入れる際には、商品交換(より正確には賃金と商品の交換)モデルを想定してしまいがちです。

 しかし実際には、以前の記事でも見てきたように、資本主義(商品交換)以外の様式で働いたり、欲しいものやサービスを手に入れるという選択肢はいくらでもありえます。

 

 NPOフローレンス代表の駒崎弘樹さんに倣って、「働くとは他者を楽にすること」と定義するならば、家事やボランティアやちょっとしたお手伝いも、広い意味での「働く」に含めて考えることができます。例えば、最近話題になっている「プロボノ」という新しい形態のボランティアは、そこに賃金が発生しないことを除けば、ほとんどいわゆる「労働」と違いがありません。プロボノとは、各分野の専門家が職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動のことです。例えば、IT業界で働いている人はITに関する知識を活かして、法律業界で働いている人は法律に関する知識を活かしてボランティアをする、といったことです。

 あるいは以前にアルビン・トフラーの「生産的消費者」の概念を紹介しましたが、自分が作った作品や動画などをネット上で無償で公開して視聴者を楽しませる人なども、広い意味での「働いて」いると捉えることができます。現代社会では「働く」と「遊ぶ」の境界線が曖昧になりつつあることは、その記事のなかでも述べたとおりです。

 

 また『ナリワイをつくる』という本を書かれた伊藤洋志さんや、一部の「ノマド」な方々が提唱されていることですが、たとえ働いた対価としてお金をもらわなくても、例えばお米や日用品などのモノをお礼としてもらったり、お返しに何か別のことをその人にしてもらったりする、という働き方もあるかもしれません。例えば、農作業を手伝った報酬としてその畑で採れた農作物をもらったり、大学院生がマッサージ師の人に勉強を教えてあげた代わりにマッサージをしてもらう、とかいったケースがそれに当たります。これは「働く」ことにおける「脱お金」化ですね。

  

ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方

ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方

 

 

 とはいえ、こういったお金を介さない〈労働〉のやりとりは、昔からずっと社会のなかで行なわれてきたことだし、今もいろんなかたちで行なわれていることです。近年では、インターネット・ソーシャルメディアの発達を利用して、いわゆる賃金労働(商品交換)とは異なる〈労働〉を実践しようとしているのが「ノマド」と呼ばれる人たちなのかもしれません。(ノマドな人たちが賃金労働をしないという意味ではありません。『ナリワイをつくる』の伊藤洋志さんもそうですが、ノマドな人たちは複数の仕事(ナリワイ)を組み合わせることによって、柔軟に生計を立てる方法を考えようと提唱しています。)

 

 欲しいものを手に入れる際にも同じようなことが言えます。店でお金を払ってそれを手に入れるだけでなく、例えば自分のほうも何か別のモノやサービスを提供することで、物々交換的に欲しいモノ・サービスを手に入れることもできます(さっきの「労働交換」の例と同じ)。あるいは好きな人、お世話になっている人へのプレゼント、お歳暮などは、現代でも広く行なわれている「贈与交換」の一種です。あるいは寄付やボランティアなどもそうですね。(寄付に関していえば、一時期、社会現象ともなった「タイガーマスク運動」が記憶に新しいところです。これは、ソーシャルメディアを通じて「社会貢献」への欲望が拡散・連鎖した新しい寄付のかたちだと言えるでしょう)。また、これも以前の記事で紹介したリナックス開発などの「オープンソース運動」もその例に含めることができるでしょう。

 

 

コモンズ

コモンズ

 

 

コモンウェルス(上)―<帝国>を超える革命論 (NHKブックス No.1199)

コモンウェルス(上)―<帝国>を超える革命論 (NHKブックス No.1199)

 

 

 

コモンウェルス(下)―<帝国>を超える革命論 (NHKブックス No.1200)

コモンウェルス(下)―<帝国>を超える革命論 (NHKブックス No.1200)

 

 

  ローレンス・レッシングの提唱する「クリエイティブ・コモンズ」や、アントニオ・ネグリが提唱する「コモンウェルス」など、そもそも私的所有という考え方を見直し、モノやサービスを「共有」するあり方を広げていこう、という発想も、交換様式C:商品交換とは異なる社会のあり方を構想するものです(とはいえ、そういった考え方が一足飛びに「資本主義社会」そのものを否定しているとは限りません。資本主義社会と並存・両立するかたちでそういった所有・労働・交換などを構想している人も多いので)。いわゆる「シェア」ブームもこの内に数えることができるでしょう。

 

 また、改めて述べておけば、晩年のマルクスや柄谷が注目した「協同組合工場」の制度(交換様式D:アソシエーション)も重要です。協同組合工場でも、共産主義社会の初期段階では労働時間に基づいた賃金労働が維持されることはやむを得ないが、共産主義社会の発展段階では労働時間に関係なく「能力に応じて働き、必要に応じて取る」という賃金労働/商品交換モデルに縛られない労働・交換方式を取ることが理想である、とマルクスは『ゴータ綱領批判』のなかで述べています。

 

マルクス・コレクション VI フランスの内乱・ゴータ網領批判・時局論 (上)

マルクス・コレクション VI フランスの内乱・ゴータ網領批判・時局論 (上)

 

 

 以上のように、交換様式C以外の交換のあり方に着目することで、商品交換(資本主義モデル)とは異なる、労働・交換・所有のあり方、ひいては非-資本主義的な社会のあり方に対する想像力を持つことができるでしょう。それは古くから存在し続けている贈与交換や物々交換、物の共有などを、現代に合ったかたちで再び取り戻すことに他なりません。

 

 かつての社会主義は強力な国家権力を用いた計画経済を実施することで資本主義システムに対抗しようとしましたが、それは失敗に終わりました。それならば、現代に生きるわれわれは、かつての社会主義とは異なるアプローチから、資本主義への対抗運動を開始せねばなりません(何度も言うように、それは「革命」によって資本主義をいきなり撲滅させようとする運動とは異なります)。

 

 それが「贈与交換」や「物々交換」、「共有財」を見直すことによって身近なところから、少しずつ社会のあり方を変えていくことによって、すなわち「非-資本主義的領域」を少しずつ拡張していくことによって、資本主義の無限増殖運動が社会全体を飲み込もうとする状況(ハーバーマス的に言えば、「システム」が「生活世界」を「植民地化」しようとする状況)に一定の歯止めをかけることができるのではないでしょうか。