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草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

「自営業の復活」は可能か?――「雇用社会」の常識を疑う

前回からの続き。

 

前回記事の最後でふれた柴山桂太さんの『POSSE』vol.18でのインタビューについて。柴山さんは次のように述べられています。

「さらに、雇用社会で本当にいいのかという問題もあります。雇用社会の反対は、自営業を中心としたセルフエンプロイメントです。日本の1950~60年代には商店街や町工場に自営業者がいっぱいいて、その層が地域経済の主役でした。この時代って今風に言えば起業の時代だったんですよ。起業というのは何もITだけではない。自営業者がたくさん出てくるということなんですから。以前、私も翻訳に関わったスコット・A・シェーンの『〈起業〉という幻想』という本に書いてありますが、アメリカでも起業ブームの実態は自営業です。」

 

POSSE vol.18: ブラック企業対策会議

POSSE vol.18: ブラック企業対策会議

 

これは前々回の記事で触れた古市憲寿さんの著書『僕たちの前途』で述べられていたこととほとんど同じですね。

「自営業ってサラリーマン時代に比べると労働時間は増えるし収入も減るんですが、それでも満足度は高い。つまり自分の人生を自分でコントロールできているという感覚が、満足度につながっていると解釈できる。サラリーマン社会では自分の人生を簡単にコントロールできませんからね。自営業の意義というのをもう一度評価する時代になっている。」

 

自営業のほうがサラリーマンよりも高いというデータはこちらの資料(自営業ルネッサンスについてのOECDの報告レポート)からも確認できます(p.171, 表5.10)。また、スコット・A・シェーンの『〈起業〉という幻想』でも、むしろ起業-自営業を始める人々の大半の動機は「他人の下で働きたくない」であることが指摘されていました。柴山さんの言い方を借りると、多少労働時間が長くとも収入が低くとも、自分の人生を自分でコントロールできているという感覚を取り戻すことが、その満足度に繋がっているのだと考えることができるでしょう。

 

さらに柴山さんは、自営業が地域コミュニティの維持という意味でも重要な役割を果たしていたといいます。町の八百屋さん、肉屋さん、魚屋さん、クリーニング屋さん、服屋さん、雑貨屋さん、定食屋さん、などがそれぞれ機能することで、地域の人間関係が保たれ、日々の情報交換やコミュニケーションが安定的になされていたのでした。またそのような自営業の店が子供たちの通学を見守り、防犯の役割も果たしていました。

 

近年ではいわゆる「駅前商店街のシャッター通り化」により、そのような地域の活性が失われ、人間関係が疎遠になり、防犯機能も低下したことがしばしば指摘されます。町の外に大きなスーパーやショッピングセンターができることで、消費の面では便利になるかもしれませんが、そのぶん町内の仕事が失われると同時に、地域コミュニティの繋がりや活気が失われてしまうというデメリットをもたらします。これらの点から見ても、もういちど自営業が見直されて然るべきではないか、というのが柴山氏の意見です。

 

 平川克美『小商いのすすめ』でも、「ヒューマンスケール」を取り戻すための方策として「小商いの復興」を推奨しています。小商いとは「存在し続けることが拡大することに優先する商いのこと」であり、「経済成長から縮小均衡の時代へ」と変化するなかで我々が「金銭至上主義的な考え方から、別の価値指標による生き方へと転換する」ための良い契機となるはずだ、と平川氏は述べています*1

 

小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ

小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ

 

今にして思えば、僕が就職活動をしていた時に感じていた違和感も、そこに「会社に雇われて働く」という選択肢しか存在していなかったことに由来していたのではないかと思います。例えば、小さときに「将来何になりたい?」と聞かれれば、多くの子供は、男の子であれば、プロ野球選手やパイロット・宇宙飛行士・消防士、女の子であれば、ケーキ屋さんや花屋さん・看護婦さんなどと答えます(少々発想が古いかもしれませんが…)。

 

しかし現実の就職活動では、ほとんどの場合、そのような職業(働き方)は選択肢の内に入って来ません。就活生に与えられているのは「どの会社を選ぶか」という選択肢だけです。どうして就職活動(仕事探し)をするときに、例えば、八百屋で働くとか、花屋で働くとか、何らかの職人になるとか、定食屋さんを開くとか、そういった選択肢が与えられていないのだろう。プロスポーツ選手や芸能人や作家・芸術家など、特殊な才能が必要とされる職業ならともかく、どうして自営業という働き方(あるいはそれに類する働き方)の選択肢がほとんどの人に与えられなくなってしまったのだろう。

 

就職活動をしている当時はそんな風に考える余裕がなかったけれど、今になってみればあのときの自分が感じていた素朴な違和感や疑問のひとつはそういうところにあったのだろうな、という気がします。そしてその違和感や疑問は実際に会社に入って働き始めてからもずっと消えることはありませんでした。(おそらく、そういう風に感じ考えてしまったことには、僕の両親が自営業として働いていた影響も大きいのだろうと思います。)

 

もちろん、そのような可能性が我々に閉ざされているわけではありません。もし本当にそういう道に進みたいのであれば、いろいろとアプローチする方法はあるのだと思います。(専門学校に通うとか、アルバイトから始めて起業を目指すとか、専門家に弟子入りするとか…)けれども現在では、そのような道を選ぶ人はあくまで少数派です。そういう道を選んだ人は(良かれ悪しかれ)「普通とは違った生き方(働き方)を選んだ人」と見なされてしまう。会社に雇われて働く(あるいは公務員になる)のが一般的で安定的な生き方だと考えられています。

 

前回記事でも書いたように、自営業という働き方が減って会社に雇われる働き方が増えたのは、日本経済が豊かになった証拠でもあり、決して悪いこととは言えません。また当然のことながら、会社に雇われる働き方を否定するつもりもありません(僕自身も会社で働いた経験から多くのことを学びました)。同時に、経済の大きな部分を動かしているのは「会社(企業)」であり、その事実は今後も長らく変わることはないでしょう(資本主義経済が続く限りは)。

 

ただし、これも前回記事の最後で書いたように、われわれの働き方が「雇用(会社で雇われて働く)」側にのみ偏りすぎるのは、経済-社会全体のバランスを考えるうえでも、必ずしも望ましいことではありません。むしろ自営業(やそれに類する働き方)という形態が一定割合存在していることによって、われわれの働き方の選択肢も増えるし、地域社会の基盤にもなるし、企業を中心とする経済が危機に陥ったときのリスクヘッジにもなるはずです。一言でいえば、「自営業の復興」は「社会の厚みを増す」ことに繋がるはずです。

 

前回・前々回の記事でも書いたように、「自営業を始める」ということは「起業する」ということでもあります。個人的には、「アプリ開発でITベンチャーを始めたぜ!」という〈起業者〉よりも「地元で八百屋を始めたぜ!」という〈起業者〉のほうを応援したいなぁと思います。もっとそういう自営業=起業が増えてこないものでしょうか。

 

森健『勤めないという生き方』では、アルバイトから有機農業を始めたり、自動車会社勤務から島での町おこしビジネスを始めたり、東大卒の大手企業サラリーマンが手染め職人を志したり、雑誌編集者がカフェのオーナーへ転職したり、といった事例が紹介されています。

 

勤めないという生き方

勤めないという生き方

 

 こういったサラリーマン→自営業・職人への転職という物語は、昔からよく取り上げられることも多いものですが、現代は(ある意味で)ますますそのような可能性が広がってきている時代だとも言えます。今のところで書けるのはこれくらいなのですが、今後もこの自営業=自己雇用の可能性をもう少し探っていきたいなと考えています。 

*1:その例として、平川氏は、ソニーの創業者井深大が記した設立趣旨書に書かれた経営方針を紹介しています。

一、不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の大を追わず。

一、経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する。 

その他にもこの設立趣意書に書かれている経営方針はなかなか感動的です。関心ある方はぜひ読んでみてください