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草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

資本主義から共産主義への移行過程としての株式企業-マルクスの未来社会論から考える5

前回の記事で、マルクスが協同組合を理想のアソシエーションと捉えていたということを書きました。

近年、田畑稔『マルクスとアソシエーション』や大谷禎之助『マルクスのアソシエーション論』などの研究によって、マルクスにとっての理想社会はアソシエーションを基礎として構成される社会であったことが明らかにされています。

マルクスとアソシエーション―マルクス再読の試み

マルクスとアソシエーション―マルクス再読の試み

マルクスのアソシエーション論: 未来社会は資本主義のなかに見えている

マルクスのアソシエーション論: 未来社会は資本主義のなかに見えている

 

マルクスが批判される際に、しばしば「戦後のアメリカとソ連の対決でソ連は敗北した。それによってマルクスの考えが間違っていたことが証明された」という風に言われます。しかしそれはあまりにも浅薄な批判です。

以前にも書いたことですが、マルクス自身の思想といわゆるマルクス主義(あるいは共産主義や社会主義)とは分けて考える必要があります。マルクスが理想とした社会は、決してソ連のような計画主義的な中央集権国家ではありませんでした。そうではなく、「アソシエーション社会」こそがマルクスの理想とした社会のあり方でした。その理想はマルクスが複数の著述の中で残した記述に表れています。

 

「階級と階級対立とをともなう旧ブルジョア社会にかわって、ひとりひとりの自由な発展が万人の自由な発展の条件となるようなひとつのアソシエーション社会が出現する。」(『共産党宣言』〔1848〕)

マルクス・エンゲルス 共産党宣言 (岩波文庫)

マルクス・エンゲルス 共産党宣言 (岩波文庫)

「本当の共同体においてこそ個人はアソシエーションにおいて、そしてアソシエーションを通じて、〔共同体に属すると〕同時に自由を獲得するのである。」(『ドイツ・イデオロギー』)

 

では「アソシエーション」とは何か?一般的には、特定の目的の元に自発的に結成された集団・組織・コミュニティのことをいいます。例えば、NPOや民間企業などを思い浮かべれば分かりやすいでしょう。あるいは趣味を同じくするサークルのようなものもそこに含まれるでしょう。もともとassociateとは「結びつける」という意味をもつ動詞ですが、associationを日本語に訳す場合には「結社」と訳されることもあります。近年ではとくにトクヴィルの再評価を通じて、アメリカにおける「結社」の伝統を見直そうという動きもあります。

アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)

アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)

 

マルクスの思想はトクヴィルの思想とはかなり違いますが、しかし「アソシエーション」の重視においては考えを同じくする部分があったのだと考えてよいでしょう。繰り返しになりますが、アソシエーションとは共通の目的の元に自発的に結成される集団のことであり、それは上からの命令で作られる集団とは大きく性質を異にします。詳細は省きますが、トクヴィルアメリカのデモクラシーが円滑に機能するうえで、市民レベルからのローカルな政治参加である「結社」の伝統が重要な役割を果たしていることを、自身のアメリカ視察の経験をもとに主張したのでした。

考察対象や立脚する思想は異なりますが、これと同様の思想がマルクスの内にもありました。上からの権力によって命令される国家政治ではなく、下からの市民(民衆)によって為される自律的な統治(自治)こそが理想的な政治/社会のあり方である、と。

 

そしてアソシエーションのうちでも、協同組合(Genossenschaft)こそが理想的アソシエーションの形態であるとマルクスは考えていました。

 

 「われわれは協同組合運動が、階級敵対に基礎をおく現在の社会を一変させる諸力のひとつであることを認める。この運動の大きなメリットは、窮乏を生み出している現在の、資本への労働の従属という専制的システムを、自由で平等な生産者のアソシエーションという、共和的で福祉をもたらすシステム(the republican and beneficent system of the association of free and equal producers)と置き換えることができるということを、実地に証明する点にある。」(「暫定一般評議会代議員への指示。種々の問題」〔1867〕)

 

「もし協同組合的生産が偽物や罠にとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義的システムにとってかわるべきものとすれば、もしアソシエイトした協同組合的諸組織(die Gesammtheit der Genossenschaften)が一つの計画にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自己の制御のもとにおき、資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣とを終わらせるべきものとすれば、――諸君、それこそ共産主義、「ありうる」共産主義でなくてなんであろうか。」(「フランスにおける内乱」〔1871〕)

 

上の引用では、「協同組合運動」が階級対立社会を変革させ、資本主義という専制的システムを「自由で平等な生産者のアソシエーション」という新しい社会システムに置き換えるのだ、ということが言われています。下の引用では、「アソシエイトした協同組合的諸組織」が「一つの計画にもとづいて全国の生産を調整」するならば(この表記がソ連の計画経済を連想させるところではありますが)、それが資本主義システムを終わらせ、「あるうべき共産主義社会」をもたらすのだ、ということが言われています。

 

これらの記述からしても、マルクスが「協同組合」を理想的な共産主義社会を成立させるための必要不可欠な構成要素として見ていたことは間違いありません。前回の記事でも書いたように、協同組合というアソシエーションでは、資本家(経営者)-労働者(従業員)という関係が撤廃され、すべての構成員が対等な立場で労働するとともに、その協同組合をどのように運営していくかについて対等に話し合い、運営に参加する権利と義務をもつのだとされます。組織のトップが上意下達的に命令を下し従業員がそれに従う、というやり方ではなく、従業員全員が経営に参加するとともに労働に参加する、というやり方で、協同組合は運営されるのです。

 

さらに興味深いのは、マルクスが『資本論』第三巻のなかで、協同組合工場を「積極的なアソシエーション」と位置づける一方で、資本主義的な株式企業を「消極的なアソシエーション」として位置づけているということです。

 

「資本主義的株式企業も、協同組合工場と同様に、資本主義的生産様式からアソシエイトした生産様式への生産様式への過渡形態と見なしてよいのであって、ただ、前者では対立が消極的に、後者では積極的に廃棄されているのである。」(『資本論』第三巻)

 

マルクスはここで資本主義的株式企業を「協同組合工場と同様に、資本主義的生産様式からアソシエイトした生産様式への生産様式への過渡形態と見なして」います。ただし、株式企業のもとでは階級対立が消極的にしか揚棄されていない。これはどういうことか。

株式企業では所有と経営の分離がなされ、資本家=経営者という図式が崩れています。代わりにその企業の株式は複数の株主によって所有されている。経営者は株主から経営を一時的に依頼されている存在にすぎない。それゆえ、株式企業のもとでは資本家と労働者の対立が以前に比べれば薄められている。そういう意味で、階級対立が消極的に揚棄されているのです。

 

ただし、その対立が積極的に(完全に)揚棄されるためには、それが協同組合工場にまで至る必要がある。先ほども書いたように、協同組合工場のもとでは資本家(経営者)と労働者(従業員)という区別が完全に取り払われているために、さらにはその工場の株式が協同組合員じしんによって所有されているために、階級対立は完全に揚棄されることになるわけです。

もちろんこれはマルクスの描いた理想であって、現実にはそのように階級対立が完全に揚棄された協同組合が実現されることは、ほとんどなかったと言ってよいでしょう。これはあくまで一種のユートピアです。しかし、現実的に実現されうるかどうかは別として、ありうべき理想社会の姿を具体的な順序をもって描き出すことは、それ自体、良き社会を目指すために必ず必要とされることです。それはカントが「統制的理念」と呼んだものに近い。

 

以上のようなマルクスの理想をいちど我々が受け止めてみるとするならば、我々が現在生きている資本主義社会のうちにも既に、マルクスが理想とした「アソシエーション社会」=「共産主義社会」への萌芽は出現しているということになります。すなわち、我々の社会を牛耳るひとつのパワーである株式企業の群れがそれです。株式企業は資本主義経済の中心的プレーヤーであるけれども、同時に資本主義経済が別の経済システムへ移行することを予期させるものでもある。株式企業が別のかたちのアソシエーションへと変化したときにその移行が開始される、というのがマルクスの予言でした。

 

そしてこのマルクスの予言は、現在あながち馬鹿にもできないように思えます。

例えば2013年2月7日にNHKクローズアップ現代のなかで放送された「働くみんなが“経営者”  ~雇用難の社会を変えられるか~」という特集。この放送では、「自分たちで出資して、自分たちで仕事を見つけて経営していく」「協同労働」のあり方が取材されていました。このような働き方はまだまだメジャーではないけれども、近年「新しい働き方」として注目を集めつつあるようです。また同様の趣旨をもつ働き方・コミュニティとして「ワーカーズ・コレクティブ」という言葉も使われるようになってきました。R25で記事になっていた「脱・株式会社?「合同会社」急増中」という記事も気になります。 

これらの「新しい働き方」「新しいコミュニティ」のうちに、マルクスが理想とした協同組合工場のひとつの実現可能性を見ることができるのではないか。この点について次回の記事でもう少し詳しく見ていきたいと思います。