草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

協同組合というアソシエーション-マルクスの未来社会論から考える4

 以前の記事でも引用しましたが、マルクスは『ゴータ綱領批判』のなかで次のように書いています。

 

共産主義社会のより高次の段階において、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立もなくなったのち、また、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこととなったのち、また、諸個人の全面的な発展につれて彼らの生産能力をも成長し、協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧き出るようになったのち――その時はじめて、ブルジョア的権利の狭い地平は完全に踏み越えられ、そして社会はその旗にこう書くことができる。「各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」

 

マルクス・コレクション VI フランスの内乱・ゴータ網領批判・時局論 (上)

マルクス・コレクション VI フランスの内乱・ゴータ網領批判・時局論 (上)

 

  以前の記事では、この引用文のうち「労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこととなったのち」という箇所に注目しました。今回は「協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧き出るようになったのち」という箇所に注目してみたいと思います。

 

 ここで「協同組合的な富」(genossenschaftlichen Reichtums)とはどういう意味でしょうか。「協同組合」というと、一般的に僕たちの生活に馴染みが深いのは「生協」、すなわち生活協同組合でしょう。生協とは「一般市民が集まって生活レベルの向上を目的に各種事業を行う協同組合」のことで、その事業(活動)内容は「食品や日用品、衣類など商品全般の共同仕入れから小売までの生活物品の共同購買活動(店舗販売、宅配)が中心であるが、それ以外にも共済事業、医療・介護サービス、住宅の分譲、冠婚葬祭まで非常に多岐にわたる」とされています(wikiより)。

 

 協同組合の起源は19世紀にロバート・オーウェンが、働く者の生活安定を考えて、工場内に購買部などを設けた「理想工場」をスコットランドのニュー・ラナークに設立したことに遡る、とされます。オーウェンは養父から引き継いだニュー・ラナーク工場で、労働条件の改善を行い、託児所では子供を保育し、共済店で生活用品を原価供給、病人には治療を施しました。 工場は経営的にも大成功し、ニュー・ラナークの名声はヨーロッパ中に伝わり、王族、政治家、社会改良主義者らが多く訪れました。彼らはその清潔で衛生的な工業環境、満足して活力にあふれた労働者、全員が力を合わせて作り上げた成功した「理想工場」の姿を目にして驚嘆したと言われています。

 

 その後、マンチェスター郊外のロッチデールにおいて、生活用品を高く買わされていた労働者達が、資金を集めて、商品を安く購買できる自分達の企業を作ったのがロッチデール先駆者協同組合であり、これが世界で最初の生活協同組合となりました。ロッチデール協同組合では、「組合員の社会的・知的向上」「一人一票による民主的な運営」「取引高に応じた剰余金の分配」などが掲げられ、少しずつではあれ、協同組合運動の理念が実践に移されていきました。

 

 

  当時、オーウェンの活動や思想に影響を受けて多くの協同組合が組織されましたが、そのほとんどは失敗に終わりました。オーウェンもニュー・ラナーク工場の成功後、アメリカに渡り、私財を投じて共産主義的な生活と労働の共同体(ニューハーモニー村)の実現を目指しましたが、これは失敗に終わりました。エンゲルスは、オーウェンを、サン=シモンやフーリエと共に空想的社会主義者として批判しつつ、その実践活動には高い評価を与えています。

 

 さて、マルクスの「協同組合的な富」についてです。先にも書いたように、協同組合では「一人一票による民主的な運営」が原則とされます。それゆえ「協同組合工場」では、資本家-労働者、経営者-従業員という非対称的な関係性は廃棄されているのが理想です。ひとりひとりの労働者が平等に発言権をもち、民主的な話し合いによって、その工場の運営方針や労働環境、生産計画が決定されるべきとされます。また、ひとりひとりの労働者が生産物・利潤の分け前に平等に預かる権利をもちます。

 当然、こうして民主的に決定された事項については、これを実践・運営していく義務が構成員に課されることになります。つまり協同組合工場のもとでは、どのように働くかを自分たち自身で決定し(政治的行為)、そして実際にその取り決めのもとに働き、その成果を平等に分配する(経済的行為)という実践が行われるのです。

 

 実は、前々回の記事で紹介した「〈活動〉に転化した〈労働〉」や「アソシエイトした労働」とは、まさにこのような政治的=経済的行為を指していたのではないか。協同組合というアソシエーションの元で行われる〈労働〉とは、手段としてのみならずそれ自体を目的としてなされるような、また固定的な分業を廃棄した自由な〈活動〉として現れてくるものとして、マルクスの頭のなかで構想されていたのだと考えられます。言うまでもなく、これは一種のユートピア思想ですが、マルクスが理想とした社会-経済の未来や労働の未来を知るうえでは協同組合というアソシエーションを念頭に置くことが重要だと思われます。(マルクスのアソシエーション構想については、近々別の記事で書くつもりです。)

 

 最後に『フランスの内乱』における有名な一節も引いておきましょう。

「もし協同組合的生産が偽物や罠にとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義的システムにとってかわるべきものとすれば、もしアソシエイトした協同組合的諸組織(die Gesammtheit der Genossenschaften)が一つの計画にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自己の制御のもとにおき、資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣とを終わらせるべきものとすれば、諸君、それこそ共産主義、「ありうる」共産主義でなくてなんであろうか。」(MEGAⅠ/22, S.142-143;  MEW17, S.342-343)