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草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

「労働からの解放」は可能か?-ケインズ「孫の世代の経済的可能性」から考える 2

 前回からの続き。

 前回に書いたようなケインズの予言は、現代社会において半分当たったとも言えるし、半分外れだったとも言えるでしょう。おそらくケインズが予想していた通りに、あるいはそれ以上に、ケインズの時代から経済は目ざましい成長を遂げ、物質的な面からすれば社会は驚くほど豊かになりました。しかし他方で、われわれはいまだ生存/生活のための労働の必要性から解放されてはいません。長時間労働や過労死・過労自殺、不安定な雇用、正規労働と非正規労働の格差、就職難、雇用の縮小などはいまだ多くの先進国が抱える問題です。それどころか、これらの労働・雇用をめぐる諸問題は、近年になってよりいっそう深刻度を増してきていると言うべきでしょう。

 

ケインズ 説得論集

ケインズ 説得論集

 

 その背景にはさまざまな要因がありますが、おおまかに述べるならば、グローバル化の進行や通信技術の発展に伴って、先進国から新興国・途上国へと雇用が流出するようになり、また技術革新や生産力の工場に伴って省人化が進み、先進国内の雇用縮小が進むようになったことが挙げられます。また社会-経済の流動化に伴い、雇用が不安定化し、非正規雇用の割合が増加し、一国内の経済格差が拡大するようになりました。その結果として、とりわけ若者の就職難が社会問題化し、先進国の経済成長も停滞しがちになります。経済的・物質的には豊かになった先進諸国においても、労働-雇用に関わる諸問題をどのように解決していくかはいまだに大きな課題となっています。

 

参考過去記事:

「雇用収縮の時代」を生きる。

どうして先進諸国の失業率が上昇しているのか?

 

 これらの状況をみれば、ケインズの予測は大きく外れたようにも思えます。実際のところ、経済規模では大きく成長しても、労働時間の推移を見ればここ数十年ではさほど大きく減少していません(むしろここ数年で労働時間の減少傾向が反転した先進国もあります)。いまだ先進諸国においても、経済格差や貧困問題は解決されたとはとても言えないし、途上国に目を向ければ状況はいっそう悲惨です。グローバル化が進んだ結果、得られた恩恵も大きいが、その反面、雇用の縮小や不安定化など失ったものも決して少なくはないように思えます。ケインズが予測した「経済問題から解放された社会状態」は、いまだどの国家においても実現されてはいないし、今後も当分実現される見込みはないのではないか。このような疑念が起こってくることもまた確かです。

 

 

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※参照:社会実情データ図録http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3100.html

 

 経済問題からの解放、とりわけ「労働からの解放」についてのケインズの予測をめぐる、現在の両義的状況をわれわれはいかに受け止めるべきでしょうか。これは一筋縄ではいかない大きな問題、とくに社会-経済が成熟期を迎えつつある先進諸国にとって重大な問題です。このような問いに簡単に結論を与えることはもちろんできませんが、前回記事の最後に述べた「余暇と退屈」問題について、ケインズが暫定的に与えている処方箋がとても興味深いものなので、この点から思考を先に進めてみたいと思います。

 

 経済問題から解放された人間の多くは、自由な余暇をどうすごして良いかが分からず、ノイローゼに陥るのではないかという懸念に対して、ケインズは次のように述べています。

 

 「今後もかなりの時代にわたって、人間の弱さはきわめて根強いので、何らかの仕事をしなければ満足できないだろう。いまの金持ちが通常行なっているよりたくさんの仕事をして、小さな義務や仕事や日課があるのをありがたく思うだろう。しかしそれ以外の点では、パンをできるかぎり薄く切ってバターをたくさん塗れるように努力すべきである。つまり、残された職をできるかぎり多くの人が分け合えるようにするべきである。一日三時間勤務、週十五時間勤務にすれば、問題をかなりの期間、先延ばしできるとも思える。一日三時間働けば、人間の弱さを満足させるのに十分ではないだろうか。」

 

  ここでケインズは、特別な才能をもたない多くの平凡な人びとは、一日に3時間程度の仕事に取り組むべきではないかという提案をしています。たとえ生存/生活の問題から解放されていたとしても、人びとは半強制的に働くようにしたほうが個人にとっても社会にとっても健全ではないか。そのほうが、多くの人びとにとっては社会参加や承認の機会を得、人間関係を形成し、生きている意義を見出しやすいのではないか。一日3時間の仕事が終われば、残りの21時間はそれぞれ好きに楽しめばよい。娯楽に身を任せても、趣味に没頭しても、無為に時間をすごしても、あるいはさらに多くの時間を仕事に費やしても、それは各人の自由である。ただし、一定程度の強制があったほうが多くの人間にとっては健全な社会生活を営むことができるし、社会-経済も滞りなく回るようになるのではないか。これがケインズの与えた暫定的処方箋でした。  

 

 つまるところ、完全に労働から解放されるのではなく、むしろ一定程度は労働に生活を結びつけておいたほうが、かえって豊かな人生を送ることができるのではないかというのがケインズの考えだったのです。皆さんはケインズが与えるこの処方箋をどう思われるでしょうか。消極的でつまらない提案だと思われるか、正当性のある真っ当な提案だと思われるか、どちらでしょうか。

 私見では、ケインズが行っているこの提案は、成熟社会における理想の雇用制度-社会保障の仕組みは、ベーシック・インカムが良いのかワーク・シェアリングが良いのか、という昨今広くなされている議論につながります。この点について、次回の記事で考えていこうと思います。