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草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

利他的な振る舞いはどこからやってくるのか?-オープンソース運動から考える

 前回は生産的消費者について書いたので、今回はそれに関連してオープンソースのことについて書いてみます。

 

 オープンソースとは字義通りの意味でいえばソースコードを公開すること。すなわち、プログラムの開発者がそのプログラムのソースコードを無償で公開することによって、万人に開かれたかたちで理想的なプログラムの開発・利用を目指すことをいいます。オープンソースの成果として有名なのは、リナックスのOSやFirefoxのブラウザなどでしょうか。リナックスはともかく、Firefoxをブラウザとして使用している人は多いのではないでしょうか。(僕はChrome派ですが。)

 リナックスは、1991年にフィンランドの大学生が開発し、インターネット上で無償で公開したOSソフトです。その直後から、世界中のプログラマーが次々と無償でリナックスの開発に参加しました。そのネットワークを使って、マイクロソフトのウィンドウズに匹敵するOSが誕生しました。ウィンドウズがそのソースコードをクローズドに独占することによって巨額の利益をあげているのに対し、リナックスがそのソースコードをオープンにすることで開発を進め、さらにそれを誰もが無償で利用できるようにしているのは非常に対照的です。

リナックスの革命 ― ハッカー倫理とネット社会の精神

リナックスの革命 ― ハッカー倫理とネット社会の精神

 

 エリック・レイモンドが1998年に書いた論文伽藍とバザールでは、ソフトウェアの開発の方法として、伽藍方式(Cathedral)とバザール方式(Bazaar)の二つをあげ、リナックスの開発を後者の例に当たるものとして位置づけました。伽藍(大聖堂、カセドラル)とは、設計者がすべての計画と体制を確立して開発する、企業などで一般的に行われている開発方式をいい、あたかも大聖堂の建築を行うがごとく厳かで大がかりであることを指します。これに対してバザール方式とは、知らない者同士がバザーで売買を行うようにアイディアや技術、またはソフトウェアそのものを持ち寄って互いに交換しながら作り上げていくことを指しています。

  レイモンドによれば、バザール方式では全体をとりまとめる責任者がいないにもかかわらず、それなりの秩序を保ったコミュニティが成立しています。バザール方式が有効であるためには幾つかの条件があり、まず開発の最初から始めることは難しく、とりあえず何か動くものが必要であること、最初はそうでなくても、将来よいものに発展していくであろうということを開発候補者たちに納得させられること、また参加者の意見やアイデアを受け入れることができることが必要であり、コーディネーターやリーダーの対人能力やコミュニケーション能力が優れていることが不可欠であるとしています。

伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト

伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト

 

 この論文に影響され、ネットスケープコミュニケーションズ社は同社のウェブブラウザ Netscape Navigatorオープンソース化に踏み切りました。このMozillaプロジェクトの成果として生まれたのがFirefoxというブラウザソフトです。また2000年頃より、IBMヒューレット・パッカードSGIインテルなどの企業のプログラマも開発に加わるようになり、開発スピードにはずみが付いたと言われています。営利企業もオープンソースソフトを敵とばかり見なすのではなく、ときには企業自身がオープンソース開発の手法を取り入れながら、その運動に力を貸すようにもなったのです。

 

 リナックスの開発では、限られたメンバーでソフトウェアをクローズドに開発していたときよりも、ソースコードをオープンにしてネット上の多数のプログラマーとともにソフト開発するようになったときのほうが、より効率的に多くのバグが見つけることができようになったと言います。これと同じことは、前回の記事でも触れたウィキペディアの編集にも当てはまるでしょう。リナックスの開発やウィキペディアの編集に参加者の多くは、いわゆるプロフェッショナルの専門家だけでなく、さまざまな「アマチュア」の人々です。『クラウドソーシング』を著したジェフ・ハウは、そのようにプロフェッショナルとアマチュアが交じり合った状態でプロジェクトに参加する人々のことを「クラウド(群衆)crowd」と呼んでいます。

 

「クラウドソーシングには、聡明で、技能を備えた群衆の働きが必要になる。そしてインターネット上に氾濫し、さらに増えつつある貴重な情報のおかげで、群衆はさらに賢くなり、腕を磨きつづけている。」(『クラウドソーシング』118ページ)

クラウドソーシング―みんなのパワーが世界を動かす (ハヤカワ新書juice)

クラウドソーシング―みんなのパワーが世界を動かす (ハヤカワ新書juice)

 

  ところで、このような「クラウド」な人々はどのような動機から無償でオープンソフトの開発に参加するのでしょうか?ジェフ・ハウは次のように書いています。「コミュニティ全体のためになろうとする気持ちを動機とするこのような労働が、余暇と、学ぶ意志とをもち、インターネットに接続できる環境にある人々のあいだに知識を広めてゆく」(同上、119ページ)。ジェフ・ハウが重視しているのは「オンライン上のコミュニティ」です。コミュニティへの所属(参加)欲望、またはそのコミュニティ内で承認されたいという欲望が、人々を無償の貢献行動へと突き動かしているのではないか。あるいは「価値のあることに参加している」という意識(優越感)が作用しているのかもしれません。

 

 サイエンス・ライターであるマット・リドレーが書いた『徳の起源』では、人間はお互いに顔の見える範囲内のコミュニティでは利他的に振る舞うこと(互恵的利他主義)が述べられています。ではインターネット上の顔が見えない状態でぼんやりと形成されているコミュニティ内ではどうしてオープンソース運動のような利他的な振る舞いが発現するのか。私見では、上に述べたように「承認への欲望」「コミュニティへの欲望」などが作用しているのではないかと思いますが、まだはっきりとしたことは言えません。

徳の起源―他人をおもいやる遺伝子

徳の起源―他人をおもいやる遺伝子

 

 無償の行為であるからといって、それが100パーセント利他的で道徳的な振る舞いであるとは限りません。利他性と利己性が両立する場合がありうるからです。近年の認知科学の知見によれば、社会的動物である人間には「他人のため」に何かをすること自体が快楽となるような脳の報酬体系が存在しているそうです。また「互恵的利他主義」と呼ばれるように、あとで見返りがあるという期待のもとに利他的な振る舞いをする場合もありえます。このような人間の利他的行動の類型については、脳科学や人類学などの分野において、今後の研究成果が待たれるところです。

 

 これまでにしてきた話と繋げるなら、オープンソース運動において発現した「利他性」と「生産性」は、非ー資本主義的領域における新しい「労働」と「生産」についてのヒントを与えてくれるものではないだろうか。資本主義の世界では人々の行動原理は基本的に「利己的」なものです。個々人が自己の利益を最大限に追求していれば、社会ー経済にとっての最適状態が導かれる、というのが(一般に信じられている)資本主義のルールです。

 しかし、非ー資本主義的領域ではこれとは異なる原理が働いているはずです。ここで「利他性」を持ち出すと、まるで個々人が自分の欲望を我慢して他人のために奉仕・贈与しているからのようなイメージを持たれてしまうかもしれません。しかしおそらくそうではない(そのような行動は長続きしない)。むしろ長期的に見れば、利他的に振る舞うことが自己の利益にもなるような原理で非ー資本主義的領域は動いているのではないか。これが現時点で僕の持っている仮説です。