草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

「自由放任(レッセ・フェール)」と市場・社会・人口の自然モデル ーフーコー『安全・領土・人口』より part3

 前回からの続きです。

 前回は、17世紀以降に登場した統治=ポリスが初期資本主義(商工業)と同時並行的に発展し、それ自体が市場システムの一部をなすようになったこと、またその統治=ポリスの発展が労働力商品の集合としての「人口」を統治対象とするものであったことなどについて書きました。ところでフーコー18世紀半ばになるとこの統治=ポリスのシステムがある種の転換を迎えたといいます。その変化は食料難の問題に対して統治(行政)の側がどのように対応するかという点で現われました。

 

 18世紀初頭までの重商主義者の主張においては、食糧難を避けるためには穀物の価格や労働者の賃金を政府がコントロールすることが必要だとされていました。労働者賃金を低く抑えることによって穀物が安価になり、それによって対外貿易が黒字となり富を多く国内に還流することができると考えられていたのです。(同時に、18世紀の初めまでは労働者は怠惰な存在であるから賃金を低く保っておき、彼らを強制的に労働へ駆り立てる必要があると考えられていました。)

 

 しかし18世紀半ばに出現した重商主義者たちは、穀物価格の規制に反対し、穀物価格は放置されるべきだ、と主張しました。穀物価格を市場の成り行きにまかせておくことによって、最終的に最適な価格に定まるようになると彼らは主張したのです。のちにアダム・スミスがこれを「自然価格」として理論づけることになります(『国富論』)。市場における需要と供給のバランスによって最適価格が定まるというよりも、それぞれの商品には自然の体系によって定められている一定の正価があり、市場の自然な成り行きにまかせておくならば、つまり人為的にその自然の体系を乱すことがないならば、それぞれの商品価格はその最適価格=自然価格に行き着く、とケネーやスミスは考えたのでした。

 

 ここに、市場メカニズムを自然の体系に見立て、そのメカニズムを人為的に阻害しないでおけば、需要と供給、価格と数量が最適な値に落ち着くという古典派経済学理論の原型となる考え方がでてきます。はじめにそのような考え方を提出したのはケネーやテュルゴーなどの重農主義者たちでした。もともとケネーが経済学者であるまえに医師であり、市場におけるお金の流れを人間の身体における血流に喩えたというエピソードが象徴的であるように、重農主義者は市場メカニズムを自然体系(生態系)のモデルでとらえて分析しようとしたのでした。これが重商主義的な統治=ポリスのあり方をも大きく転換させることになります。

 

 さらに重農主義者たちは、人口の数をも「自然=市場のメカニズムにまかせる」ことによって、おのずと適正な数量に調整されると考えました。人口には「自発的調整機能」がある。だから、たとえ食糧難が発生しても、それを無理やりに撲滅しようとするのではなく、「なすがままにする(レッセ・フェール)」のが良い。一定の飢餓者が出るかもしれないが、それによって結果的に人口が適正な数字に落ちつくことになるだろう。重農主義者〜古典派経済学の登場とともに成立する「政治経済学」が重要な研究対象とみなしたのは、このような意味での「人口」であったのだとフーコーは言います。(例えば、マルサスの『人口論』がその典型であった。のちにマルクスがこの問題系を、「人口」から「階級」へと変化させることになる。)

 

 そして、重農主義および古典派経済学にとって重要な公理となったのは「自由放任(レッセ・フェール)」というテーゼでした。フーコーは次のように述べています。「自由主義、戯れ。人々を放任する事、事物を起こるにまかせること、物事をなるにまかせ、放任し、放置すること。このようなことが本質的に意味しているのは、現実の法則・原則・メカニズムにしたがって現実が展開し進行するようにはからうということです」(『安全・領土・人口』58頁)。

 

 重農主義ー古典派経済学が、経済(貿易)を規制・管理しようとした重商主義を批判して、「自由放任」の原則を唱えたというストーリーは経済思想史の教科書でも定番のものですが、このストーリーを「統治」と「人口」という要素から読み替えた点フーコーの妙味があります。またフーコーは1978年1月25日の講義のなかで、18世紀半ばに生じた「統治」の変化ーーすなわち、規律権力から調整権力(安全装置)へという変化ーーを、『言葉と物』で論じられた「人間」中心のエピステーメーの登場と明示的に関連づけて論じています。すなわち、18世紀半ばから19世紀初頭にかけて起きた、富の分析→経済学への変化、博物学→生物学への変化、一般文法→言語学への変化は、いずれも「人口」という要素がその中心を成している(同上、93-95頁)。

 

 「人口」という項目が学問(知)および権力のうちに導入されたことは、「人類」が「ヒトという種」として認識され、権力諸技術の領域に「一つの自然」が入ってきたことを意味している。このことは、間違いなく、初期の経済学者たちが市場メカニズムを一種の自然体系として捉えようとしたという事実と呼応するものであろう。知—権力が人口および市場を「自然の一部」として捉えるようになった時点において、規律権力とは異なる調整権力(安全装置)が登場したのであり、「人間」中心のエピステーメーが開始されたのであり、経済学という学問が成立したのである。それゆえ、この18世紀半ば以降の近代的な知—権力はその核心部分に「自然」あるいは「生物」という概念を隠し持っていることになる。

 

 一般的に近代とは「啓蒙」のプロセスであり、人間を自然から引きはがし、自然を人間の支配下におくプロセスであったと考えられがちであるが、実際には人間の自然性および生物性を認識することによってこそ、近代的な知ー権力の発展が可能となったのであり、資本主義という無限の運動もまた人間の生物学的有限性および市場メカニズムの自然体系的把握を基礎として成立しているということを我々はよく認識しておかなければならない(この点については以前の記事でも述べた)。これこそがフーコーの統治論および生権力論のもつ核心的なメッセージだったと言えるでしょう。