草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

労働と貨幣 -ジョン・ロック『統治二論』より part2

 前回からの続き。

完訳 統治二論 (岩波文庫)

完訳 統治二論 (岩波文庫)

 

 ロックは労働によって所有権を基礎づける労働所有権論を提唱したのですが、それに続けて彼は貨幣の必要性についても言及しています。ロックはこう言います。神は人間に自然の恵みを最大限に有効活用するよう定めたのであったが、それらの自然の恵みのうち、人間にとって有用なものの大部分は長持ちしないものである。例えば、ある人が自身の労働でもって手に入れた穀物や果実を消費しきれずに腐らせてしまうのであれば、それは神の定めに背くことになるであろう。ここで、もしその人が余剰にもっている穀物を、その穀物を欲しがる人がもつ一片の金属とを交換し、その金属を保存するのであれば、それは決して他人の権利を侵したことにならず、また神の定めに背くことにもならないであろう。一片の金属を手放した代わりに余剰分の穀物を手に入れた人は、そうしなければ腐ってしまうはずであった穀物を有効に消費してくれるであろうから、そのように穀物と金属片を交換することにより、結果的に自然がもつ恵みを人びとの間で最大限に活用したことになるのである。

 

 こうして貨幣の使用が始まったのだ、とロックは言います。ロックによれば、「貨幣というのは保存しても腐朽せず、また相互の約束によって、人が実際に生活上有用な、しかし滅失する性質のものと交換に受け取るであろう、何か永続性のあるものであった。」(『統治二論』岩波文庫版、52頁)。貨幣の発明によって、人びとは財産の蓄積を持続し拡大することが可能になった。貨幣に必要な性質は保存性と稀少性の二つであるから、その素材にはほとんどの場合、金銀などの金属片が選ばれたが、金銀などの金属片には生活上の有用性(使用価値)はほとんどない。それゆえ、「その価値はただ人の同意によってのみ得られるものである」。もちろん、その場合の価値の基準は労働であるのだが。

 

 以上のようなロジックでもって、人が労働によって獲得した自然物の余剰分を貨幣と交換し、その貨幣を蓄積することもまた自然の法則、あるいは神の定めに適う行為であるという保証が得られることになります。ウェーバーは『プロ倫』のなかで、カルヴィニズムの教えから、労働によって得られた貨幣を蓄積することが救済への心理的確証・客観的指標として捉えられるようになったことを指摘していましたが、ロックの思想では労働にもとづく所有権と自然物の有効活用という視点から貨幣の蓄積が擁護されていることが分かります。ロジックは異なるものの、どちらも禁欲的労働を推奨し、そこから生まれてくる貨幣蓄積に積極的な価値を認める点で、カルヴィニズムと同じくロックの教えも、プロテスタンティズムの影響を大きく受けていることは間違いないでしょう。

 

 ロックは、勤労とともに人びとが貨幣を交換手段として用い、これを蓄積するようになることは、自然が人類に与えた恵みを最大限に有効活用するための方途であるとして、これに好意的に言及しています。しかし実際には、人びとが労働によって得られた貨幣を蓄積するようになると、貨幣は単なる交換手段という位置づけをこえて、むしろそれ自体の獲得・蓄積が目的となるような事態が生じてくることになるでしょう。そうすると、自然が人類に与えた恵みを最大限に有効活用するためではなく、個々人が自身の利得を最大化するために、労働および所有・蓄積をするようになるかもしれない。またこのことによって、所有の不平等が拡大され、それによって権利の衝突や侵害をも引き起こされる事態も予想されます。このように、「人びとの同意」による貨幣の「発明」は、かえって自然物の有効活用を妨げるだけでなく、社会の混乱をもたらす危険性をも秘めています。

 

 労働と貨幣蓄積がもたらすこのような負の側面は、『統治二論』のなかではほとんど語られていません。ロックが「自然状態」として想定していたのは、開拓間もないアメリカの地であったと言われていますが、開拓時のアメリカのように、まだ土地の開墾・利用や商業都市の発達などがほとんど進んでいない状況においては、ロックの理論は当てはまったかもしれませんが、ある程度の文明の進歩と長い発展の歴史を背負っているヨーロッパや他の地域においては、ロックの労働所有権論および貨幣論がどれほど有効なものであったかは改めて問い直される必要があるでしょう。

 

 とはいえ、ロックが労働と自然権としての所有権を結びつけて論じたこと、のちに労働価値説の原型となる思想を形成したこと、さらにそこから貨幣交換や貨幣蓄積の意義を「自然が人間に与えた恵みの有効活用の方途」として価値づけたことは思想史のうえで重要な意味をもつ。とりわけ、労働価値説はのちの古典派経済学やマルクス経済学において理論化・体系化されて、経済学史のうえでも大きな意義をもつことになります。ハンナ・アーレントは、西洋思想史のなかで労働に積極的な意義を見出した最初の思想家としてロックを挙げています。ロック以後、ヒューム、スミス、マルクスなど労働を肯定的に評価する思想家が続けざまに登場することになるというのです。今後の記事で、これらの思想家についても順に書いていきたいと思います。