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草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

「労働倫理」の誕生 -ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』より

 前回の続き。資本の本源的蓄積の結果、16世紀イングランドにて都市に増加した貧民・浮浪者への対策として、彼らを労働能力がある者とない者とに分け、後者には最低限の生活保障を与え、前者には強制的に労働を義務づける施策が行われました。ここに「働かざるもの食うべからず」的な労働規範が誕生してくることになります。

  このような労働規範の誕生が、当時の宗教改革の影響を受けていることは間違いありません。マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかで指摘したようにプロテスタンティズムは厳しい勤労倫理をもっていました。宗教改革とともに普及し始めた勤労倫理と、当時ちょうど問題となり始めた都市の貧民・浮浪者対策とが絶妙にマッチングするかたちで「救貧対策」を形作っていったのだと理解することができます。

 

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

 

 教科書的な復習をしておきましょう。15世紀から16世紀にかけてのヨーロッパでは、教皇位の世俗化や聖職者の堕落、免罪符の販売など、カトリック教会の腐敗が問題となっていました。このような状況に憤ったマルティン・ルターは1517年、ローマ教会を非難する「95ヶ条の論題」を張り出します。この論題はたちまちドイツ中に広まり、カトリック教会に不満を抱く多くの国民に支持されることになりました。教皇庁は教皇の権威を揺るがすとして、ルターに撤回を求めましたがルターはこれを拒否、1521年に教皇レオ10世はルターを破門します。しかし、ルターの主張は、当時グーテンベルクが開発した印刷機で活字にされ、急速に広まっていきました。

 ルターの教えは、重税に苦しむ農民にも希望を与えました。なぜなら、農民は領主に仕えるべしとは聖書には書かれておらず、農民に封建制からの解放の可能性を示唆するものだったからです。 このような期待を背景に、ルターの同志であったミュンツァー(Muntzer)は、南ドイツの農民を率いて蜂起し、ドイツ農民戦争(1524 - 1525)を引き起こしました。ルターは当初、農民たちに同情的だったが、運動が過激化するとこれを批判し、蜂起は鎮圧されることとなりました。

 その後も、カトリックを支持する神聖ローマ皇帝と、ルター派の諸侯の間で戦闘が続きますが、1555年にアウクスブルクの和議が結ばれ、諸侯はカトリックとプロテスタントルター派)を選択する権利が認められることとなりました。この後もシュマルカルデン戦争(1546 - 1547)、ユグノー戦争(1562 - 1598)、三十年戦争(1618 - 1648)など、カトリックとプロテスタントとの間での宗教対立はヨーロッパ各地で展開されることになります。この宗教戦争が最終的には1648年のウェストファリア条約契機とする主権国家体制の確立にまで繋がっていくわけですが、このことはまた別の機会に述べます。

 

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マルティン・ルター(1483-1546)

 さて、マックス・ウェーバーが『プロ倫』のなかで的確に指摘したように、ルターの教えの中で特徴的なのが「天職(Beruf)」の観念です(英語ではcalling)。このBerufのうちには、単純な「職業」という意味だけでなく、それが神から与えられた「使命(Aufgabe)」であるという思想がありました。ルターは「世俗内職業の内部における義務の遂行」を、「道徳的実践のもちうる最高の内容」として重要視しました。世俗内義務としての職業=使命Berufを遂行することこそが、神に喜ばれるための生活を営む唯一の手段である、というのがルターの考えでした。

 例えば、トマス・アクィナスに代表されるような中世の支配的な価値観では、世俗的労働は、「飲食と同じく信仰生活の不可欠な自然的基礎だとしても、それ自身としては道徳にかかわりのないもの」だとされていました。しかし、ルターは世俗の職業労働こそが隣人愛の外的な現われだと考えました。「そして、どんな場合にも世俗内的義務の遂行こそが神に喜ばれる唯一の道であって、これが、そしてこれのみが神の意志であり、したがって許容されている世俗的職業はすべて神の前ではまったく等しい価値をもつ、ということがその後指摘され続けたばかりでなく、ますます強調されるようになっていった。」(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神岩波文庫版、111頁)

 それまで高い評価が与えられなかった世俗の職業生活にこのような道徳的性格を与えたことが、宗教改革が後代へ影響を与えたもっとも大きかったものの一つでした。しかし同時にルターは、「各人は原則としてひとたび神から与えられれば、その職業と身分のうちにとどまるべきであり、各人の地上における努力はこの与えられた生活上の地位の枠を越えてはならない」と考えていたために、結局のところ、伝統主義的な価値観を乗り越えることはできなかった、とウェーバーは言います。

 

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ジャン・カルヴァン(1509-1564)

 それに対し、宗教的原理と職業労働との結合を根本的に新しい次元にまで引き上げたのは、フランス生まれのカルヴァンでした。これもよく知られているように、カルヴァンの教えで特徴的なのは徹底した「予定説」です。カルヴァンによれば、どの人間が救済され、どの人間が救済されないかは、永遠の昔から神によって定められていることであり、このことは人間の側の善行や信仰によって変えることはできない。このような徹底した予定説が、人びとを「自分は救われている側なのか、それとも…?」という不安に陥れ、その不安を打ち消すために、逆説的に絶えまない世俗的勤労への没頭をもたらした、というのがウェーバーの考えでした。

 同時にカルヴァンは、禁欲的労働によって富が蓄積されることは決して罪ではなく、むしろ信仰への確証の客観的尺度になるとして、これを容認しました。その結果として、禁欲的に世俗的職業に打ち込み、さらに合理的な将来計算でもって事業を運営し、貨幣を蓄積していくという資本主義的モーメントが生まれてきます。マルクスの『資本論』においても指摘されていたように、事業において蓄積した貨幣を奢侈的に消費してしまうのではなく、それを禁欲的に次の事業に投資していく、それによってさらに貨幣を蓄積し、いっそうの勤勉な労働に励んでいく、という無限の価値増殖運動が開始されるわけです。

 

  この過程において、あたかも労働が絶対的な自己目的であるかのような労働倫理も生まれてくる。すなわち、労働を生きるための「手段」としてではなく、生きるための「目的」と捉えるような労働倫理が出現してくるわけです。よってウェーバーにしたがえば、マルクスのいう資本の無限増殖運動の普及を原初において支えたのはプロテスタンティズムという宗教的要素であった、ということになります(これはマルクス主義的な唯物史観にたいするウェーバーへの反論でもあったと言えるでしょう。この学説に対してはさらにいろいろと反論もあるのだけど、面倒なので省略)。さらには、教会という中間項を介さずに神と個人が直接に向かい合うというプロテスタントの慣習から西欧近代を特徴づける個人主義が出てきたのではないかという人もいます。なかなか興味深い仮説ではないでしょうか。

 

 かなり長くなってしまいましたが、全体をまとめると、世俗的職業を神からの召命(Beruf)と見なし、労働こそが神への奉仕・隣人愛の実践になるというルターの教えと、徹底した予定説によって際限なき禁欲的労働へと信者を駆り立て、それによって蓄積される貨幣を客観的な信仰の確証と見なすカルヴァンの教えによって、プロテスタンティズムがもつ労働倫理が、絶え間なく勤労に取り組み、その成果を禁欲的に将来へ投資するという資本主義の精神(エートス)を生み出した、という結論が得られます。

 プロテスタンティズムの労働倫理が資本主義を生み出したとまで言えるかどうかには慎重にならねばなりませんが、少なくとも近世ヨーロッパにおいて、プロテスタントの労働倫理が勃興期の資本主義運動にうまく符合し、都市の貧民・浮浪者を「労働力商品」に仕立てあげていくのに大きな役割を果たしたことは間違いがないでしょう。とりわけ16世紀から17世紀のイングランドにおいてはその現象が明確に進行しました。このような厳格な労働倫理が時代を経るにつれて次第に弱まり、別種の論理へと変容していったことはウェーバーが『プロ倫』の最後で書いているとおりですが(「こうした文化発展の最後に現われる「末人たち(letzte Menschen)」にとっては、次の言葉が真理となるのではないだろうか。「精神のない専門家、心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない段階にまで登りつめた、と自惚れるだろう」と。」)、そのことの意味はまた別の機会に考えることにしましょう。今回は触れられませんでしたが、次回は16世紀から17世紀にかけてヨーロッパ各地で出現した救貧院・矯正院の意義について書いてみたいと思います。