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草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

救貧対策の誕生 -マルクス『資本論』から資本主義の本質を考える。part 6

 前回までの記事で、マルクスの「本源的蓄積」(原始的蓄積)の議論を用いて、労働力という特殊な商品が国家の論理によって暴力的な過程を経て産みだされてきたことを見てきました。これが典型的に起こった16世紀イングランドの「囲い込み運動」の結果、土地や農具などの生産手段から引き離された元農民たちが都市に大量流入し、イングランドの各都市では貧民対策・失業者対策が大きな政治的課題となったわけです。

 

「教会地の横領、国有地の詐欺的な譲渡、共同地の盗奪、横領と容赦無ない暴行とによって行われた封建的所有や氏族的所有の近代的私有への転化、これらはみなそれぞれ本源的蓄積の牧歌的な方法だった。それらは、資本主義的農業のための領域を占領し、土地を資本に合体させ、都市工業のためにそれが必要とする無保護なプロレタリアートの供給をつくりだしたのである。」(『資本論』第一巻、国民文庫版、大月書店、第三分冊、391-392頁)

 

 都市に流入した「無保護なプロレタリアートたち」は、「群をなして乞食になり、盗賊になり、浮浪人になった」。それへの対策として「15世紀の末と16世紀の全体をつうじて、西ヨーロッパ全体にわたって浮浪にたいする血の立法が行われたのである」。国家政府によって彼らには「浮浪民化と窮民化とにたいする罰」が与えられることになった。「立法は彼らを「自由意志による」犯罪者として取り扱った」。

 例えば、ヘンリー8世(テューダー朝、在位:1509 - 1547年)は、老齢で労働能力のない乞食に乞食免許を与えた。それ以外の労働可能な(と判定された)浮浪者にはむち打ちと拘禁とが与えられた。「彼らは荷車のうしろにつながれて、体から血が出るまでむち打たれ、それから宣誓をして、自分の出生地か最近三年間の居住地に帰って「仕事につく」ようにしなければならない」(393頁)。

 ここには既に、労働能力がある者とない者とを区別し、労働能力がない者には最低限の生活保障を与え、労働能力がある者には強制的に仕事に就かせるという、現代の「ワークフェア」的な社会保障・雇用対策に通ずる政策が現れています。いわばここには、労働を通じた規律権力が現出しているのです。

 次のエドワード6世(テューダー朝、在位:1547 - 1553年)が1547年に定めた法律では、「労働することを拒む者を怠惰者として告発した人の奴隷になることを宣告される」と規定された。こうして奴隷の主人となった者は、「奴隷にはどんな嫌な労働でもむちと鎖とでやらせる権利をもっている」。また「奴隷は、14日間仕事を離れれば終身奴隷の宣告を受けて、額か背にS字を焼きつけられ、逃亡3回目には国にたいする反逆者として死刑に処される」ことになっていた。

 またエリザベス女王テューダー朝、在位:1558 -1603年)の時代には、1597年に最初の総合的な救貧法とされる「エリザベス救貧法」が制定され、1601年にエリザベス救貧法として知られる救貧法改正がなされた。この制度は17世紀を通じて救貧行政の基本となり、近代社会福祉制度の出発点とされている。エリザベス救貧法の特徴は、国家単位での救貧行政という点にあったエリザベス以前の救貧行政は各地の裁量に委ねられていたが、この改正によって救貧行政は国家の管轄となった。以降、救貧は中央集権化を強めていった。(救貧法wikiより)

 ジェームズ1世の時代には「放浪して乞食をしている者は、無頼漢で浮浪者だという宣告を受ける」ようになった。「矯正不可能な危険な浮浪者は、左肩にR字を焼きつけられて強制労働を課され、再び乞食をして逮捕されれば、容赦なく死刑にされる」。

 このように労働不可能者・浮浪者・奴隷などと判定された者たちはしばしば文字通りにその印を肉体に刻み込まれた。ここに「可視化されたスティグマ とでも呼ぶべきものが現出している。これは周囲の人びとに「働かない者は怠け者であり、社会の中で生きていくに値しない存在である」という規範を植えつける効果をもつ。現代では生活保護に与えられたスティグマが、これに対応した役割を持っているだろう(某芸人の家族の生活保護「不正」受給問題や、2ちゃん上で生活保護者が「ナマポ」と揶揄される状況を思い浮かべてもらえれば良い)。

 

「こうして、暴力的に土地を収奪され追い払われ浮浪人にされた農村民は、奇怪な恐ろしい法律によって、賃労働の制度に必要な訓練を受けるためにむち打たれ、焼き印を押され、拷問されたのである。」(同上、397頁)

 

  労働力商品を人為的に産出する「本源的蓄積」の真の暴力性は、農村民を土地から引き剥がす時点ではなく(それはまだ「穏やかな」過程であった)、都市に流入した貧民を「商品」に仕立てあげていく過程にあった。それが暴力的なものとなるのは、もともと都市に滞留していた元農民・浮浪者たちが、資本主義とは異なるメカニズムのもとに生きる存在であったからである。非-資本主義的な存在であった人びとを資本主義的な論理にしたがう勤勉な「労働力商品」へと「矯正」するには、協力な権力と暴力が必要とされるのである。次のような記述が示唆的だ。

 

「資本主義的生産が進むにつれて、教育や伝統や慣習によってこの生産様式の諸要求を自明な自然法則として認める労働者階級が発展してくる。完成した資本主義的生産過程の組織はいっさいの抵抗をくじき、相対的過剰人口の不断の生産は労働の需要供給の法則を、したがってまた労賃を、資本の増殖欲求に適合する軌道内に保ち、経済的諸関係の無言の強制は労働者にたいする資本家の支配を確定する。」(同上、397頁)

 

 労働者を生産手段から切り離すだけでは不十分なのだ。その労働者を「真面目に仕事に励む」ような資本に従順な存在に仕立てあげなければならない。資本の要求を「自明な自然法則」として受け入れるように。現代においても「働かざるもの食うべからず」という規範は非常に強力であり、80年代以降の新自由主義の普及によって、この古典的な労働倫理が形を変えながら再びわれわれにのしかかってきているような印象がある。資本主義は規範やイデオロギーから逃れた自由なシステムではなく、人びとが気づかぬうちに「自明な自然法則」という見せかけのもとに一定の規範や価値観を植えつけてくるものでもあるのだ。浮浪者や失業者を「怠け者」として処罰する行政処置の登場がそれである。

 このような労働規範とともに、西欧諸国には救貧院や矯正院といった施設が登場してくることになるのだが、この点については次回の記事で述べることとしよう。