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草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

「労働力商品」の特殊さ -マルクス『資本論』から資本主義の本質を考える。part 2

 前回の続きです。前回は、マルクスの『資本論』を用いて資本の本質が「価値の無限増殖運動」にあること、資本の一般定式がG-W-G' で示されること、を説明しました。
 
 ところで、このG-W-G' という資本の一般定式はあくまで等価交換に基いて実現されるのでなければならない、とマルクスは言います。例えば、暴力で脅して物を安く仕入れたり、価値のないものを高価だと言いくるめて売りつけるような方法で利益をあげるのであれば、それは市場の論理に従っているとはいえない。もちろんそのような悪徳な商売はつねに存在するのだけれども、z資本家はそのような略奪や詐術によらずとも、市場のルールに従い、等価交換を貫徹することによってきちんと利益(剰余価値)を得られなければならない。

 ここでマルクスは「ある場所で安く仕入れて、他の場所で高く売る」という商業資本や「お金を貸しつけて利息をとる」という高利貸資本などの資本形態は、資本主義経済において「派生的」なものであるとしてこれを(『資本論』第一巻では)正面から扱っていません。マルクスが資本形態の本質とみなすのは、「物を生産して販売する」という産業資本の形態です。もちろんその生産や販売の過程において、商品交換のルールを逸脱する略奪や詐術があってはならない。
 しかし、ふつうに考えればいくら等価交換を繰り返したところで、そこから剰余価値(利益)が生じてくるということはないはずです。AさんとBさんが100円の商品aと100円の商品bを交換したところで全体の価値は増加しません。ところが、産業資本形態においてはそのようなことが起こるのだ、とマルクスは言います。等価交換から剰余価値が生まれる――そのようなことはどうして可能なのか?
 この矛盾(二律背反=アンチノミー)について、マルクスは次のように書いています。


「それ故に、資本は流通からは生じえない。そして同時に、流通から発生しえないというわけでもない。資本は同時に、流通の中で発生せざるをえないが、その中で発生すべきものでもない。かくして二重の結果が生ずる。
 資本の貨幣への転化は、商品交換に内在的な法則の基礎の上に展開すべきものである。したがって、等価物の交換が出発点として考えられる。まだ資本家の蛹として存在しているにすぎないわが貨幣所有者は、商品をその価値で買い、その価値で売らなければならぬ。そしてそれにもかかわらず、この過程の終わりには、彼が投入したより多くの価値を引き出さなければならない。彼の蝶への発展は、流通部面で行われなければならず、また流通部面で行われるべきものではない。これが問題の条件である。ここがロードスだ、さあ跳べ!」(『資本論』第一巻、岩波文庫版、第一分冊、289頁)


 等価交換から剰余価値が生まれる点において、交換手段の道具である貨幣(Geld)は価値の無限増殖をもたらす資本(Kapital)へと転化することになるのですが、果たしてそのような転化はどのようなロジックによって可能なのか?このあたりのマルクスの論理の展開は非常に見事で、読んでいてワクワクさせられるものがあります。まるで良質な推理小説を読んでいるときのように。
 さて、この矛盾/二律背反をマルクスはどのように乗り越えるのか。前回の記事の最後でも書きましたが、W(Ware、商品)の位置に「労働力商品」という特殊な商品を代入することによって、この矛盾/二律背反を解くことができる、というのがマルクスの示す答えです。


「したがって変化は、もっぱら商品の使用価値そのものから、すなわち、この商品を消費することから発生しうるのみである。ある商品の消費から価値を引き出すためには、わが貨幣所有者はきわめて幸運でなければならないのであって、流通部面の内部、市場において、ひとつの商品を発見しなければならぬ。その商品の使用価値自身が、価値の源泉であるという独特の属性をもっており、したがって、その実際の消費が、それ自身労働の対象化であって、かくて、価値創造であるというのでなければならぬ。そして貨幣所有者は、市場でこのような特殊な商品を発見する――労働能力または労働力がこれである。」(同上、291頁)


 つまり、手持ちの貨幣を手放してある商品を購入し、その商品を消費する(使用する)ことそのものが価値を生むような「特殊な商品」を見出すことによって、先の矛盾/二律背反は解決されるわけです。そのような商品が本当にありうるのか?ある。それが「労働力」という商品だ、というわけです。
 資本家は市場で労働力という商品を購入し、その商品を消費することによって、剰余価値を発生させる。労働力商品の消費とはすなわち、資本家の指揮のもとに労働者を働かせるということを意味しており、労働者の労働は剰余価値を生み出すことになる。これによって等価交換という市場のルールを守りつつ剰余価値を発生させる、すなわちG-W-G'を実現させる、そして貨幣を資本に転化させる、ということが可能になるわけです。

 非常に見事な説明だと思いませんか?余談ですが、僕は学部生のときに受けていた「経済学基礎論」の中で、いまの師匠がこの「貨幣の資本への転化」を講義していたのを聞いて、目から鱗が落ちる経験をしたのを覚えています。そのときの感動が、僕が経済思想の研究に向かっていった理由のひとつになっている気がします。

 さて、このようにマルクスの資本論においては、労働力こそが剰余価値を生み出す唯一の源泉とされており、労働力という特殊な商品こそが資本の無限増殖運動を可能にさせる重要な駆動因となっています。逆にいえば、労働力が商品として市場で売られていない限りは、資本主義は成り立たない、ということになります。
 ここでマルクスが「労働」と「労働力」を区別していることに注意せねばなりません。「労働」とは剰余価値を生み出す行為そのものを指しますが、「労働力」とはまだ「労働」という行為が発現していない「商品」の状態を指しているからです。言い換えれば、「労働力」という商品は潜在的に「労働」の可能性を秘めているがまだその可能性は実現されていない状態にあるのであり、資本家がこれを購入してそれを「消費」したときに初めて「労働」という行為が実現化(顕在化)される、ということになるわけです。

 これはまた次回以降に説明しようと思いますが、労働力という商品はもともと自然に市場に存在しているものではありません。それは人為的に・暴力的に創りだされ、「商品」として市場に置かれることによって初めてこの世界に出現するものです。マルクスがこれを説明しているのは、『資本論』第一巻第二十四章「いわゆる本源的蓄積」においてです。

 今回はひとまず、労働力という特殊な商品によって剰余価値の発生、および貨幣の資本への転化、および資本の無限増殖運動が可能になる、ということをご理解いただければ十分かと思います。興味を持たれた方はいちど『資本論』を手にとって読んでみてください。初めのほう(価値形態論)が難しくて挫折される方が多いのですが、前回・今回と取り上げた第一巻・第四章「貨幣の資本への転化」の箇所だけ初めに読んでみる、というのもいいのではないかと思います。『資本論』をすべて読み通す必要はないので、興味を持たれた箇所だけつまみ食い的にでも良いので、マルクスのアツい文章に触れてみてください。きっと現代にも通ずる本質的なことが書かれているということを読んだ方には感じ取っていただけるのではないかと思います。