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草食系院生ブログ

「労働」について思想史や現代社会論などの観点からいろいろ考えています。日々本を読んで考えたことのメモ。

「シンボリック・アナリスト」、あるいは「変人」と「精神分析家」

  ヒト・モノ・カネが一体化して国境を超える21世紀型グローバリゼーション(ハイパーグローバリゼーション)が進むと、先進諸国内の雇用は縮小・流出し、慢性的な雇用不足に陥ることになります。さらに商品・サービスのコモディティ化が進み、海外から安価な商品が輸入されるようになると、先進国の賃金は絶えざる下方圧力に晒されることになる。これが物価全体にデフレ圧力をもたらし、先進国経済をいっそう厳しい状況に追い込みます。度重なる政策の失敗もあり、このような雇用収縮・賃金下降の影響をモロに受けているのが日本経済だと言ってよいでしょう。

 

 このハイパーグローバリゼーションに対する処方箋として、野口悠紀雄さんが示すのが「産業構造を高度化して付加価値の高い分野に特化せよ」という命題であり、瀧本哲史さんが示すのがコモディティ化を避けて、代替不可能なスペシャリティを目指せ」というメッセージでした。両者の答えは、日本経済全体に関するアドバイスか、個々人に対するアドバイスか、という違いはあるにせよ、方向性としては同じものを示しています。しかし、そのような処方箋・方向性では不十分ではないか、というのが僕の考えです。

 

 なぜなら、このような方向性において勝ち残ることができるのはあくまで一部の能力・個性をもった人びとだけであり、そこでは構造的に必ず一定の格差が生み出されてしまうからです。このことをよく示しているのがロバート・ライシュの『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』における議論です。ライシュは、21世紀型資本主義=ニューエコノミーにおける職業を以下の三つに区分しました。

 

①シンボル・アナリティック・サービス(象徴分析サービス)

②ルーティン・プロダクション・サービス(ルーティン生産サービス)

③インパーソン・サービス(対人サービス)

 

ザ・ワーク・オブ・ネーションズ―21世紀資本主義のイメージ

ザ・ワーク・オブ・ネーションズ―21世紀資本主義のイメージ

 

 ライシュによれば、これからのニューエコノミーで最も高い価値を生み出すのは、①シンボル・アナリティック・サービスに従事する者たち(シンボリック・アナリスト)です。これに属する具体的な業種・職種として、ライシュはコンサル・研究開発・広告業・マーケティング・金融業・IT関連・エンターテインメント業などを挙げていますが、これらの業務・業界では社会の流行を司る「象徴(シンボル)」を分析・操作し、そこから大きな利潤を生み出します。高い問題解決能力やセンスの鋭い象徴-分析能力、あるいは才能溢れる美的-創造能力などを持ったシンボリック・アナリストたちは、高い価値と利益を生み出しながら、その高付加価値な仕事のなかで個性を発揮し、「自己表現」あるいは「自己実現」を行なっていくことができる、とライシュは言います。

 

 いっぽうで、残りの②ルーティン生産サービスや③対人サービスに従事する人々の多くは、低賃金+不安定な雇用形態という状況にとどめ置かれることが予想されます。なぜなら、これらの仕事はマニュアルさえあれば、ほとんど誰でもルーティン的に作業をこなすことができる(と考えられている)からです。またこれらの仕事は、海外の安価な労働力へ移転することが可能です。以前の記事で述べた「オフショアリング」ですね。かつてはアウトソース不可能と考えられていた③対人サービスも、インターネットを使ったアウトソース、または海外労働者の流入による職の置き換えによって、徐々に可能なものとなってきています。

 

 理想的にいえば日本人全体が、代替可能で付加価値の低い、②ルーティン生産サービスや③対人サービスを捨て、①シンボリック・アナリティクス・サービスへと移行すれば、日本経済は中国などの新興国に差をつけることが可能となるわけです。これが野口悠紀雄さんのいう「産業構造の高度化」「付加価値の高い分野への移行」という方向性です。しかし現実には、シンボリック・アナリストのような付加価値の高い華やかな職業に就けるわけではありません。むしろそのようなハイ・イメージな職業に就いて成功を収めることができるのは、ごく一部の限られた人びとにすぎません。当たり前のことですが、優れたセンスをもつ一部の人びとのみがシンボルを分析・操作するからこそ、そこに高い付加価値が生じるからです。(誰もが分析・操作できるようなシンボルならばそれは社会的に大した価値を持ちえないでしょう)

 

  ライシュは『勝者の代償』という著作のなかでは、ニューエコノミーにおいて成功を収めるのは「変人」と「精神分析家」であると述べています。ここでいう「変人」とは「ある特定の媒体において新しい可能性を見つける能力を持ち、そしてその可能性を深め、発展させることを喜びとするような人たち」のことを指し、具体的にはアーティスト、発明者、デザイナー、エンジニア、金融のエキスパート、科学者、作家、ミュージシャンなどが挙げられています。いっぽう、「精神分析家」とは、「他の人々が何を欲しいか、何を見たいか、何を経験したいかについての市場の可能性を知ることができ、そういった機会をどのように生み出すかを理解している人」であり、具体例として営業担当者、タレントエージェント、需要開拓者、流行観察者、プロデューサー、コンサルタント、敏腕家などが挙げられています。

 

勝者の代償―ニューエコノミーの深淵と未来

勝者の代償―ニューエコノミーの深淵と未来

 

 これらの職業に憧れる人は少なくないでしょう。創造性と高付加価値を兼ね備えており、華やかでカッコイイ仕事であるように映るからです。しかし繰り返しになりますが、誰もがこのような職業に就けるわけではない。「変人」のような豊かな創造力・鋭いセンス・卓抜な表現力をもつ人や、「精神分析家」のように市場の動向を読み解き、次の流行を嗅ぎつけられる人はそう多くはないでしょう。これも繰り返しになりますが、そういった能力・センスはあくまでごく一部の人が持っている(ほとんどの人びとが思いつかないようなアイデアを生み出してくる)からこそ価値があるのです。

 

 しかもライシュがいう「変人」や「精神分析家」のもつ能力やセンスなどは、凡人が努力をしたところで必ずしも身につけることができないような性格をもっています。頑張って勉強することで身につけられるような資格(弁護士、会計士、医者など)や英会話能力などはこれからはコモディティ化してしまうので、代替不可能なスペシャリティになれ、というアドバイスは言うのは簡単でも、それを実践できる人はそう多くはないのではないか、と思います。誰もが瀧本先生のようなインベスターやイノベーターやリーダーとして活躍できるわけではない。確かにそのようなメッセージを自己啓発的に発する人たちはそれを実践できているのでしょうが(それすら怪しいような自己啓発者もたくさんいますが)、その読者たちのうちにそれを実行可能な人たちが実際にどれだけいるだろうか。

 

 結局のところ、21世紀型グローバリゼーションへの対応として、産業構造の転換やスペシャリティへの研鑽を奨励したところで、「勝ち組」となることができるのは一部の特殊な能力や個性をもつ人びとだけなのではないか。かつての高度経済成長期のように、終身雇用・年功序列が保証された会社共同体のなかで、能力に程度の差はあれ、皆で一緒に頑張って皆がほどほどに豊かになり、大きな格差は生じないというモデルは戻ってこない。

 高い創造性・鋭いセンスなどを武器に高い付加価値を実現できるシンボリック・アナリストと、ますますコモディティ化が進むルーティンサービスや対人サービスに従事する人たちとの間で、さまざまな格差が拡大していく(二極化が進行する)ことになります。これはグローバル化・産業構造の高度化が進む成熟社会のなかではほぼ必然的に生じてくる事態です。

 にもかかわらず、多くの自己啓発書や経済関連書籍は、頑張って努力しさえすれば、誰もが「勝ち組」のシンボリック・アナリストになれるかのような幻想を煽り、我々を「啓発」してくる側面を持っています。現実にはたとえ一生懸命に努力をしても、その勝ち組の席に座れる人数は限られているのですが、そこに到達できなかった人たちは「自己責任」の名のもとにその責任を自分自身のうちに回収するよう求められることとなります。このように自己啓発と自己責任は往々にしてセットで機能するであり、ここには大きな欺瞞が潜んでいると言わねばなりません(すべての自己啓発書がそうであるとは言いませんが)。雇用収縮の時代を生きていくにあたり、我々はこのような自己啓発-自己責任論にたいして警戒的であらねばなりません(もしそれを道具的にうまく活用できるなら問題はないのですが)。「絶えざる成長」を目指す自己啓発的な生き方だけが唯一の選択肢ではない。時と場合によっては非-資本主義的な生き方・働き方を選択することも可能なのだ。このことを我々はよく理解しておく必要があると思います。この点について、次回の記事で改めて考えてみましょう。

 

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余震(アフターショック) そして中間層がいなくなる

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