「蕩尽」から「生産」へ-バタイユ『有用性の限界 呪われた部分』から考える3

前回の記事では、古代社会・未開社会における「過剰」な富が「祝祭」の際に「蕩尽」される(ポトラッチなど)ことを書きました。このような「蕩尽」のあり方は、中世に入ると少しずつその様相が変わってきます。これも前回記事で書いたように、古代社会・未開社会においては「栄誉」が最大の価値基準でした。しかし、中世…